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横須賀 よしみ(よこすか よしみ、1962年8月25日 - )は、日本の女優・元グラビアモデル。本名、黒坂 昌美(くろさか よしみ)。血液型B型。旧芸名は「横須賀 昌美」、「横須賀 蓉美」(いずれも「よこすか よしみ」と読む)。サイアン・インターナショナル所属〔横須賀よしみ (サイアン) 〕。 == 来歴 == 石川県金沢市出身。国本女子高等学校出身。 1980年、資生堂キャンペーンガールに選ばれてCMモデルとなる。JALやロッテ、花王のCM出演も果たし、CM界の松田聖子〔週刊ポスト 1991年11月21日号 P224~227〕と言われた。翌年アイドル歌手としてもデビュー、短期間で人気の頂点を極める。もともとが歌手志望で小学校の時に、当時全盛だった山口百恵、桜田淳子、森昌子の花の中三トリオにあこがれてスター誕生!に応募したが、オーディションの通知が来たにもかかわらず怖くなってやめてしまったという経緯がある〔映画情報 1981年6月号 春満開!シェイプ・アップ完了!!〕。 テニス、バスケットをやっており、その他スポーツは万能で両手で字が書けるという特技を持っている〔週刊明星1981年6月4日号〕。母校の国本女子高等学校では校則が厳しく、授業態度などを先輩の桜田淳子と比較されてつらかったと告白しているが〔明星 1982年4月号〕、その桜田淳子とは、後に雑誌のテニスの企画で共演を果たしており、その時に桜田のことを成績が大変良かったと聞かされたと称えている。 田原俊彦が好きで、ファンを公言したら剃刀同封の手紙が送られてきたこともあったという〔週刊宝石 1984年4月27日号 P179〕。 1984年、付き合っていた男性とベッドでいっしょの写真が週刊誌に掲載され、CMを降板、事務所からも契約解除などの処遇を受ける。この事件は当時、第2のニャンニャン事件とマスコミを騒がせた〔。第1は、タレントの高部知子のベッドで裸体に布団を掛けた状態で、煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌に掲載された事件で、ニャンニャンとは当時の性行為を意味する俗語である。しかし、この写真についての本人の弁は「布団の下は着衣で、軽い気持ちで友人に撮ってもらっただけ。でもアイドルとしては軽率でした。」ということである。しかしCM降板の違約金まで自身が抱えることになった。「貯金も三千万はあったが、違約金を払ったら五百万の借金が残って、仕事もホサれて途方に暮れました。」と語っている。その返済のためエアロビクスのインストラクター、六本木のスナックの雇われママなど様々な仕事に追われることになる〔芸能人という生き方 別冊宝島396 横須賀蓉美~セクシーVシネマという復活法〕。人気絶頂時の月収は当時の金額で500万円近かったが、事件後は3万円にまで落ち込んだというくらい、その余波は大きかった〔。 その後、出演した映画、『夕ぐれ族』は主役で話が来たが、それだと脱がなくてはならず、この時点で資生堂との関係は続いていたのでヌードはなしということになったという。さらにまた週刊誌にホステスをしてる写真が掲載され「ポルノ女優3回目の変身」などと書かれたりした。これについても本人は客で行った時の写真で、そういう事実はないと否定している〔週刊現代 1984年9月29日号 P60~63〕。転機になったのは『マニラ・エマニエル夫人 魔性の楽園』(1992年、東映ビデオ)で、このvシネマで初めて大胆な濡れ場を演じており、これ以降ヌードの役が増えるが、「主役をやれることが大切だった。」と語っており、これ以来テレビ局からも多くのオファーを受けるようになる。しかし脱ぎの仕事ばかりで、本人にとっては不本意だったが、Vシネマでは定期的に主役級の仕事が入るようになり1本平均150万円というギャラは生活を安定させるには十分だったという。この時期にはVシネマの女王との異名もとっている〔。 近年は女優業の傍ら郷里の金沢市片町で実妹とスナックを経営している。お酒が好きで「昔はザルでした。40分でボトル1本空けてその間にビールかワインをやるという感じで。」と語っている〔週刊現代 1992年2月8日号 P62~65〕。 2013年、11月23日放送『お願い!ランキング GOLD 2時間スペシャル』(テレビ朝日)で自身の店であるカラオケスナック、『百(MOMO)』が紹介され元気な姿を見せた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横須賀よしみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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