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横須賀藩(よこすかはん)は、遠江国に存在した藩。藩庁は横須賀城(静岡県掛川市松尾町)。 == 概要 == === 戦国期 === 天正2年(1574年)、武田勝頼によって東遠江の要衝であった高天神城が陥落する。これによって東遠江の支配権を失った徳川家康は、高天神城を奪還するために馬伏塚城の大須賀康高に命じて馬伏塚城を廃し、天正6年(1578年)から新たに横須賀城を築城させた。横須賀城は天正8年(1580年)に完成し、この城を拠点にして高天神城奪回の攻撃が始まり、天正9年(1581年)3月22日に高天神城は奪回された。後に康高が死去すると、城主は養子の大須賀忠政が継いだ。 天正18年(1590年)の小田原征伐により、家康が関東に加増移封されると、忠政も上総久留里藩に移封され、代わって豊臣秀次の家臣・渡瀬繁詮が入った。しかし文禄4年(1595年)、繁詮は秀次事件に連座して改易・死罪に追い込まれた。そのため代わって繁詮の重臣だった有馬豊氏が入る。この豊臣系大名の時代は「悪政の時代」として有名で、渡瀬時代は秀次の権勢をかさに着て過酷な重税を課し、それが納められなかった者は殺されたといわれる。有馬時代も豊臣秀吉の権勢をかさに着て太閤検地を実施したが、この検地があまりに過酷なものであり、そのために領民は重税に苦しめられたとされる。慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いで有馬豊氏は東軍に与して戦功を挙げたことから、戦後の12月13日に丹波福知山藩6万石に加増移封された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横須賀藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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