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樫野 恒太郎(かしの つねたろう、元治元年(1864年)8月27日 - 昭和23年(1948年)5月1日)は江戸時代末期(幕末)生まれで、明治・大正・昭和時代の実業家。 ==来歴・人物== 元治元年(1864年)8月27日、徳島県阿南市中林町に、徳島藩中老・海上方奉行で通称阿波水軍の長であった森甚五兵衛16代目村晟の家臣であった父・樫野藤蔵と母・ミツの間に生まれる。明治維新後、父が創業した石灰製造所を継ぎ、神戸・徳島など京阪神を始め、国内の石灰業界で活躍し事業を拡大した(第二次世界大戦前、徳島県南部は大理石及び石灰石の代表的産地であり、大正9年(1920年)着工、昭和11年(1936年)完成の現在の国会議事堂の3階天皇御休憩所の出入口や内部の内装及び彫刻その他の議事堂各所に使われている石材である時鳥(ほととぎす)答島(こたじま)加茂更紗(かもさらさ)などは徳島県産であり、山口県産と並んで国会議事堂の石材の主要な部分を占めている)。 徳島県においては昭和初期、富岡無尽株式会社の社長を10年間務め、今の徳島銀行の基礎を確立した。また徳島県会議員を務め、金融と政界に足跡を残した。篤志家として知られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樫野恒太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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