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樺山忠助 : ミニ英和和英辞書
樺山忠助[かばやま ただすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かば]
 (n) birch
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [すけ]
 (n) assistance

樺山忠助 : ウィキペディア日本語版
樺山忠助[かばやま ただすけ]

樺山 忠助(かばやま ただすけ)は、戦国時代武将和歌を好み、犬追物の達者であった。
天正元年(1573年)、島津氏に降伏した大隅国禰寝重長肝付氏に攻められた際、これを救うべく出陣、肝付氏を西俣に破り功を為した。同3年(1575年)に犬追物が行われた際、忠助は射手として11匹を射る程の活躍を見せ、その腕前から毎年の犬追物での射手となり、天正4年(1576年)に琉球の使者を饗応する犬追物での射手も務めた。同年、伊東氏高原城攻めにも出陣、その後、日向国穆佐(現・宮崎市高岡町)の地頭に任じられる。但し耳川の戦いの頃に穆左は嫡子の規久に任せ、自身は大隅の堅利に住んだ。
天正12年(1584年)の岩屋城攻めにも出陣、忠助は大石にを砕かれ、矢玉による無数の傷を負いながらも奮戦し、ようやくこれを落としたが、その退き陣の際に病を得て堅利へと戻った。但し数カ月後に治癒すると再び豊後攻めへと戻り功を為した。
慶長14年(1609年)に出水にて病没。
== 参考文献 ==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13) (鹿児島県史料刊行委員会)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「樺山忠助」の詳細全文を読む




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