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橋口 兼三(はしぐち けんぞう、1828年8月24日(文政11年8月15日〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』76-81頁。〕) - 1900年(明治33年)2月25日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』152頁。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治期の裁判官・検察官・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・与一郎〔。 ==経歴== 薩摩藩士・橋口与三次の長男として生まれる〔『明治過去帳』新訂初版、587-588頁。〕。 明治2年2月(1869年)薩摩藩の藩政改革時に新設の糺明局総裁に就任し、以後、参政、権大参事を歴任〔『明治維新人名辞典』「橋口与一郎」775頁。〕。 廃藩置県後、明治政府に出仕し、明治4年11月15日(1871年12月26日)美々津県参事に就任〔。同年12月7日 (1872年1月16日)司法省七等出仕に転じた〔〔日向市史編さん委員会編『日向市史 史料編 美々津県庁文書1』日向市、2003年、25頁では「12月17日」。〕。 明治5年4月7日(1872年5月13日)司法権少判事となる〔。以後、司法権中検事、司法中検事、権中検事、中検事・大坂上等裁判所在勤、検事、判事・大坂控訴裁判所詰、大坂控訴裁判所検事長などを歴任〔。この間、1876年に萩の乱の臨時裁判所に検事として出張し、また、1877年に西南戦争の九州臨時裁判所にも検事として出張した〔。 1883年11月14日、元老院議官に就任〔。1889年、高等法院予備裁判官、さらに同陪席裁判官を仰せ付けられた〔。1890年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔。1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる〔『官報』第2340号、明治24年4月22日。〕。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕、死去するまで在任した〔。 その他、日本麦酒会社監査役を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋口兼三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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