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橋川 正(はしかわ ただす、1894年1月30日 - 1931年9月6日)は、日本の大正 - 昭和期に活躍した歴史学者・仏教史学者。 == 経歴 == 京都の真宗大谷派の寺院仏願寺に生まれる。真宗京都中学を経て、1917年に真宗大谷大学(現、大谷大学)を卒業。その後、研究科在籍のまま、京都帝国大学文学部国史学科に依託生として入学。三浦周行・西田直二郎に師事した。1921年、同卒業とともに、真宗大谷大学学部助教授兼予科教授に就任。24年、同教授。この間、1920年には、父恵順の死去により、仏願寺住職および常葉幼稚園長を継職している。 同大学奉職後は、仏教史・真宗史の研究・教育に尽力するとともに、個別寺院史・地域史研究にも従事し、短期間に多くのすぐれた業績を残した。また 1927年には、同大学に国史学会を創設。同大学での歴史学・仏教史学の研究・教育を本格的に始動させた。 1929年10月以後、1年半にわたり、史学研究のためアメリカ・ヨーロッパに留学したが、帰国後の1931年4月、同僚であった曽我量深・ 金子大栄の著述を異安心とする問題が起こったため、他の教授とともにこの処置に抗議して大谷大学を連袂辞職。その直後より健康状態が悪化し、同年9月、38歳をもって急逝した。 専門とする日本仏教史学に、西田直二郎より受けた文化史的方法論を導入し、恩師である山田文昭(真宗大谷大学教授)が創始した仏教史学の研究・教育に尽力、その学問的水準を飛躍的に高めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋川正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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