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橋本 敦(はしもと あつし、1928年(昭和3年)8月23日 - )は、日本の政治家、弁護士。日本共産党所属の元参議院議員。自由法曹団所属。 == 概要 == 大阪に生まれた。1951年京都大学法学部を卒業。1957年より弁護士を開業する。1974年の大阪市長選挙に日本共産党推薦で出馬するも、現職の大島靖に敗れ落選。同年の参院選で大阪府選挙区で立候補し初当選、以後1時期の落選を挟んで当選4回。 ロッキード事件の調査のために訪米し、共産党国会議員団の代表として疑獄事件追及に関わる。 1987年、大韓航空機爆破事件を受けて北朝鮮の拉致に疑惑を感じ、調査を始める。 1988年(昭和63年)3月26日、参議院予算委員会において日本人拉致問題に関する質問をして国家公安委員会委員長梶山静六から北朝鮮による関与が濃厚とする政府答弁を初めて引き出す〔参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋) 日本共産党 2015年5月11日閲覧〕(失踪問題を国会で初めて取り上げたのは1980年、公明党の和泉照雄。北朝鮮拉致問題を国会で初めて取り上げたのは1988年1月の民社党中央執行委員長塚本三郎)。拉致被害者の著書などでもこの答弁を引き出した橋本敦の存在は大きい。1997年、再び拉致問題を参議院法務委員会で質問する。2002年、かつての秘書兵本達吉から「拉致事件の解明を妨害してきた張本人」だと非難されるが橋本はこれに反論した(後述)。 参議院議員として4期24年を勤め上げ、1998年の第18回参議院議員通常選挙に立候補せず議員生活を終える。引退直後に参議院から永年在職表彰を受けた。現在は大阪府在住で、北大阪総合法律事務所にて弁護士活動をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本敦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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