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橋本 昌禎(はしもと しょうてい、嘉永6年(1853年) - 明治33年(1900年)10月1日)は、京都出身の日本の臨済宗の僧、天龍寺派管長。道号は峨山、息耕軒。 == 略歴 == 京に生まれ、5歳の時に嵯峨野の義堂昌碩の下で出家。義堂遷化後は正眼寺に移って泰竜文彙に師事し、泰竜の遷化後に天龍寺に移って由利滴水に師事してその法嗣となる。明治28年に副住職として天龍寺の復興を助け、滴水の没後の明治32年に後を継いで238世住職、管長となる。その翌33年に48歳で遷化。 幕末、維新の動乱期に関西地方の多くの名士と交流、なかでも住友2代総領事の伊庭貞剛とは、雲水時代に天龍寺の托鉢先として自宅を訪問したのが縁で長年の友人関係となり、貞剛が別子銅山に赴任した時には『臨済録』を渡すなど、その陶冶を助けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本昌禎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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