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__NOTOC__ 橋本 石洲(はしもと せきしゅう、1902年5月19日 - 1986年1月21日)は、日本の伊勢派正風の俳諧師。 本名、橋本 隆介(はしもと りゅうすけ)。 ==略歴== 三重県伊勢市宮後西河原町に生まれる。生家は代々外宮祠官町年寄師職ならびに徳川幕府直轄伊勢山田奉行所御旗本支配組頭を務めた家柄であった。13歳の頃から漢学を父実幹に習い、郷土史を血族の松木時彦に学んだ。漢詩は久志本博石主幹の神都天南吟社に属し、服部擔風・本宮三香などと交渉があった。 三重県宇治山田商業学校(現宇治山田商業高等学校)を卒業。1年次在学中に剣道の試合の際、受け損なって鼓膜を破られ、以来耳が不自由であった。 早くから俳諧を早苗庵汀鷗に学んで雲夢園石洲と号した。1921年1月10日に正風伝統の立机を允許され、これを祝して早苗庵の引立で巻かれた全国巨匠文音連吟には、芭臣や其桃などの名が並ぶ。 古松とも交友があり、たびたび俳誌「松の栞」の選を頼まれたが、一度も選をしたことがなかった〔,石洲師翁を忍びて〕。 晩年は対吟者に恵まれず、「独吟」で連句の灯を灯し続けた。東明雅はその姿を、伊勢派正風の最後の俳諧師として、「孤高の俳諧師」と評した。 1985年秋より子の住む千葉県船橋市に居を移し、1986年1月21日にその生涯を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本石洲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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