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橋本 鶏二(はしもと けいじ、1907年11月25日 - 1990年10月2日)は、日本の昭和期の俳人、エッセイスト。三重県伊賀市(旧上野市)小田に生まれる。本名、秀雄(ひでお)。高浜虚子に師事。俳誌「年輪」を主幹し、数多くの門人を育てた。俳人協会元顧問。三重県民功労者。 == 人物 == 十代より文学に親しみ、若くして両親を失い、俳句に傾倒。1925年に高浜虚子に師事し『ホトトギス』に投句。1943年、『ホトトギス』6月号で初めて巻頭を飾り、さらに1945年に同誌3月号の巻頭句「鳥のうちの鷹に生まれし汝かな」は高い評価を受け、鷹を詠んだ秀句が多いことから「鷹の鶏二」として知られるようになる。 1950年頃より旅を日常とし、自然との出会いの中に新しい自らの生命を求めて、掴んだものが形象をなすまで心を攻める激しい修行者のごとき生活を送った。1957年、俳誌「年輪」を創刊主催。「自然とそして謙虚な客観写生の律調がより渾然とし、より醇乎たる境地に生育することを望む」と発刊の意図を記した。かねてより親交のあった野見山朱鳥らと四誌連合会を結成、伝統俳句に新風を起こした。 清雅温厚な中に、対象を透徹した眼でとらえ表現した「詠み込んだ写生」の句によって伝統俳句に新境地を開いた。その作句の姿勢は、「雪月花彫りてぞ詠(うた)ふ」という自身の俳句創作理念に示される。詩人の大岡信は鶏二の句について「虚子の写生説を徹底して信奉する一方で、言葉そのものの美を求道者のように追求し、独自の作風を築いた」と紹介した。〔「第四 折々のうた」(大岡信著)〕 1955年より25年間、名古屋市に居住し、1980年に三重県伊賀市に帰住、松尾芭蕉生家と遺髪塚のほとりに住む。1984年句集「鷹の胸」で俳人協会賞受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本鶏二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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