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橋 誠(はし まこと、1977年5月10日 - )は、日本の元プロレスラーで現在は男性ストレッチトレーナー。広島県福山市出身。 == 来歴 == 如水館高校時代に柔道を経験。卒業後、建設会社に入社するもプロレスラーの夢を捨てきれず自らトレーニングを積んで新人プロレスラー募集に応募し、1997年に全日本プロレスに入団。当時は川田利明の付き人を務めた。同期生には森嶋猛がおり、丸藤正道も後輩であるが入団が近いためほぼ同期として扱われる。 1998年3月25日、対金丸義信戦でデビュー。2000年、バーニングを離脱した秋山準やマウナケア・モスマン等と組むようになり(秋山軍)、バーニングを解散に追い込む。しかし、その直後に全日本プロレス分裂騒動が勃発し、同団体を退団、プロレスリング・ノアの旗揚げに参加。旗揚げ興行の第1試合で森嶋とシングルマッチを行い敗北した。なお、付き人を務めていた川田と袂を別ったため、新たに秋山の付き人となった。また同年、秋山が率いる軍団スターネス入りをする。 2002年4月7日、丸藤の持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦したが、試合中の丸藤の負傷によりレフェリー・ストップ勝ちし、第4代GHCジュニアヘビー級王者となるも、試合内容と相手の怪我による勝利という結果に納得がいかないとの理由から試合直後に返上した。 2005年7月18日、東京ドーム大会で師匠である秋山と組んで鈴木みのる&丸藤の持つGHCタッグ王座に挑戦したが敗れる。その後ヘビー級に転向し、また秋山の薦めによりスターネスを卒業した。なお、スターネス離脱するも私生活の世話など秋山と行動を共にすることが多く、秋山の運転手や秋山の個人会社が販売する「みんなの潤水」の配達もしている。 さらに同2005年には、非常に顔が似ていることで知られているDRAGON GATE所属の望月成晃が、天龍源一郎のセコンドとしてノア大会に来場。両者とも元々互いに意識はしていたものの全く接点が無かったが、試合開始前の入場時に秋山が橋の首根っこを掴んで入場、そのままセコンドの望月のところに連れて行き、無理矢理橋の頭を下げさせた。秋山曰く「こんな奴と顔が似ているなんて、申し訳ない」とのこと。 2007年、同じくスターネスを離脱した泉田純至とタッグを組み、チーム・成り上がりを結成。当時タッグ王座化していたグローバル・ハードコア・クラウン無差別級選手権の王者であった志賀賢太郎・川畑輝鎮組に挑戦したが、敗北を喫した。 2008年には川畑の保有するグローバル・ハードコア・クラウン無差別級選手権に挑戦し王座を奪取。その頃から「高尾山の天狗様からお告げを受ける」というギミックを使い始め、入場時には天狗のお面をつけるようになった。 2009年6月、小橋建太に敗れ、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王座から陥落した。 同年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」〔選手、レフェリー契約についてのお知らせ プロレスリング・ノア 公式サイト 2010年1月8日〕となり退団、フリーランスとなった。その後、レスラー活動と並行してフィットネスクラブに勤務するようになる。 フリーとなってからは、ノアの他にDRAGON GATEやバチバチなどに常連参戦した。 2010年2月7日のDRAGON GATE後楽園ホール大会では顔の似ている望月とタッグを結成、さらに3月3日にはシングルマッチで対戦。その後、望月のことを「兄貴」と呼ぶようになった。 しかし2011年5月に首の不調を理由にプロレスラー休業を発表、そのまま2012年6月に自身のブログ上にて引退を表明した。 現在は、ストレッチ専門店のトレーナーとして勤務。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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