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橘 義通(たちばな の よしみち、生年不詳 - 治暦3年2月17日(1067年4月3日))は平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。丹波守・橘為義の子。官位は正四位下・筑前守。 == 経歴 == 寛弘5年(1005年)正月、蔵人所雑色に補任され〔『御堂関白記』寛弘5年正月29日条。〕、寛弘7年(1007年)8月の除目で左兵衛少尉に任ぜられた〔『除目大成抄』八「非蔵人」。〕。寛弘9年(1012年)4月、蔵人・兵部丞であった義通は禁色を聴される〔『小右記』寛弘9年4月19日条。〕。長和2年(1013年)の春頃には、式部丞に任ぜられた。 左兵衛尉を経て、乳母子として敦成親王家の蔵人を務めるなど、親密な繋がりがあった親王が後一条天皇として即位した後の寛仁3年(1019年)3月、昇殿を聴された〔『御堂関白記』寛仁3年3月16日条。〕。治安3年(1023年)頃には備後守を務めている。また、長元4年(1031年)には少納言に義通なる人物が就いているが、橘義通かどうかは不明である〔『左経記』長元4年8月8日条。〕。 その後、主殿頭を経て、筑前守に転じるが、在任中の治暦3年(1067年)2月17日、卒去した。享年不明。『後拾遺和歌集』に二首が入集する勅撰歌人でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橘義通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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