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機動艇(きどうてい)とは、第二次世界大戦期に日本陸軍が保有した揚陸艦のひとつである。海岸に直接乗り上げて、船首の渡し板から戦車などを上陸させる、ビーチング方式の戦車揚陸艦の一種にあたる。当初は特大汽艇と呼ばれていた。陸軍独自に開発した系列はSS艇、海軍設計のものはSB艇とも呼ばれる。 == 建造の経緯 == 1930年代後半に、日本陸軍は、既存の上陸用舟艇である大発動艇(大発)より航洋性に優れた、戦車揚陸用の船舶の研究を始めた。海上トラックと呼ばれた小型貨物船を原型として開発が進められ、「五郎丸」や「よりひめ丸」などの改造実験などを経たのち、太平洋戦争勃発後の1942年(昭和17年)4月に試作艇の「蛟竜」が播磨造船所において竣工した。八九式中戦車10両を搭載する能力を持ち、外見は通常の海上トラックと同様であるが、上陸時には船首部分がアメリカ軍のLST同様の観音開きになり、船内から渡し板が繰り出されるようになっていた。渡し板の構造は電動折りたたみ式の複雑なもので、小型の船体のわりに長い渡し板を使用できる利点がある一方で、あまり信頼性は高くなかったと言われる。連合軍側の揚陸艦艇では中型揚陸艦(LSM)に相当する規模である。速力は航海速力13ノット、最大14.5ノットであった。 「蛟竜」の運用試験の結果、改良されて若干大型化した「蟠龍」が建造され1943年(昭和18年)7月末に完成した。改良の内容としては、当初の戦車揚陸専用から歩兵などを含む諸兵科連合部隊の上陸作戦用に用途が変更され、歩兵用の小発動艇が搭載されたこと、上陸部隊援護用の軽迫撃砲が装備されたこと、ソロモン戦の戦訓をもとに自衛武装の強化が図られたことなどである。乗員は40名で、輸送能力は20トン級の中戦車4両とトラック1両、兵員170名、弾薬・糧食3週間分であった。大型化したため速力は航海速力12.7ノット、最大13.7ノットに低下した。 この蟠龍を基本として量産型の建造が行われた。建造は戦時標準船の亜種として計画造船に組み込まれ、戦時標準船のうち海上トラックにあたる小型貨物船のE型に準じ、ES型と分類された。そのため、海軍では、機動艇のことをES船と呼ぶことがあった。陸軍では、蛟竜から量産艇にいたるまでの総称としてSS艇(Sは戦車の頭文字に由来)と呼んでいた。 以上のような陸軍開発の機動艇のほかに、海軍が開発した類似船である第百一号型輸送艦(二等輸送艦)の移管を受け、機動艇として使用したものがある。これは、陸軍独自に開発したSS艇と区別するためにSB艇(Bは海軍船を指す記号)と呼ばれた。用途や船体規模は近似するがSB艇のほうがやや大型で、船首構造が平面構成になっていることや、従来のディーゼル機関ではなくタービン機関を使用していることなどが異なっている。SS艇と同じように部隊配備された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「機動艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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