翻訳と辞書
Words near each other
・ 檀君奧婁門
・ 檀君尉那
・ 檀君屹逹
・ 檀君延那
・ 檀君扶婁
・ 檀君摩休
・ 檀君教
・ 檀君普乙
・ 檀君朝鮮
・ 檀君沙伐
檀君烏斯丘
・ 檀君率那
・ 檀君王倹
・ 檀君甘勿
・ 檀君登屼
・ 檀君神話
・ 檀君紀元
・ 檀君索弗婁
・ 檀君索阿忽
・ 檀君翰栗


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

檀君烏斯丘 : ミニ英和和英辞書
檀君烏斯丘[だんくん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

檀君 : [だんくん]
 (n) mythical founder of Korea
: [くん, きみ]
  1. (n,suf) Mr (junior) 2. master 3. boy 
: [からす]
 【名詞】 1. crow 2. raven 
: [きゅう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground 

檀君烏斯丘 ( リダイレクト:檀君 ) : ウィキペディア日本語版
檀君[だんくん]

檀君(だんくん)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹という。檀君朝鮮の項目も参照。
== 檀君の実在性 ==
檀君はあくまでも説話上の存在であり、実在しなかったとされている。
檀君王倹という言葉は、もともと由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。檀君という名については、「〜」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「の神」であることを表す。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行したが、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山で有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされたのはこちらであった。王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精とか妖怪に近いもので「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。
ただし、元になった伝承があったことは夫余建国神話〔夫余の建国神話に登場する天神「解慕漱(ヘモス)」と檀君神話の「桓雄(ハムス)」は漢字の当て字の違いで元々は同じ音を表しており、同名同一の神であった。雄の字を「ス」と読むのは韓訓。〕、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話〔ツングース系の獣祖神話においては人間の男女、熊の牡牝、虎の牡牝の組み合わせがすべて存在するが、民族の祖先となるのは人間の女性から生まれた場合だけで、父系の祖先が獣(虎か熊かはその民族または部族によって異なる)である。人間の男と牝虎の間には子供はできず、牝熊との間に生まれた子供は男が逃亡しようとしたため怒った母熊によって殺されてしまう。つまり本来の獣祖神話においては母系が獣の民族は存在できないことになっている。〕から察知できる。物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物であって、それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもので、相互に関連のなかった三系統の話を素材にした創作である。
これらの傍証からも、檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されており、国家としての檀君朝鮮の実在性も認められない。
李氏朝鮮末期の19世紀末には、中国由来や西洋由来の宗教でなく朝鮮独自の宗教を振興して民族主義のよりどころとしようという動きが現れ、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。その中でも羅喆らがおこした大倧教は勢力が大きく、独立運動団体としても活動したほか大韓民国臨時政府などへ与えた影響も大きかった。檀君が即位して檀君朝鮮を建国したことを記念する開天節も大倧教が始めたものである。
現在でも、朝鮮人の中には檀君を実在の人物と主張する人々も大勢いる。大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示すために「史実」として教育するように指導されている。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、神話に基づく檀君朝鮮の建国年との間に700年近い差があり、また解析方法についても詳細が公表されていないことから、信憑性は低いと見られる。
2010年3月、日韓関係史につき調査・研究を行うために、日韓双方の学者・専門家によって構成された日韓歴史共同研究委員会において、メンバーである井上直樹は、「韓国の教科書が、朝鮮民族の始祖とされる檀君の神話をそのまま認めるような記述をしているのは、資料考証に基づく結論なのか疑問である」と指摘している〔日韓歴史研究報告書の要旨〕。同じくメンバーだった永島広紀によれば、韓国側の研究者は、オフレコの発言では檀君の実在を否定するが、記録が残る場面でそのような発言をすることは絶対に無いと述べている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「檀君」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dangun 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.