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檀王法林寺(だんのうほうりんじ)は京都市左京区川端通三条にある浄土宗の寺院である。正式な山号院号寺名は 朝陽山 栴檀王院 無上法林寺 であるが、人徳厚かった第2世住持の團王良仙を人々が親しみを込めて「だんのうさん」と呼んだ事から、当寺の呼称も檀王法林寺として定着した。琉球王国より帰国後、袋中が創建した浄土寺院の1つ。 == 歴史 == === 前身 === 当寺の前身は、浄土宗三条派祖の道光了恵〔文献によっては「了慧」。いずれも「りょうえ」と読む。〕上人が開創した悟真寺にあるとされる。 了恵は文永5年(1268年)亀山天皇より帰依を受け、文永9年(1272年)勅額を賜って洛東三条に悟真寺を開き、さらに建治2年(1276年)に「朝陽山(ちょうようざん)」の山号勅額を賜ったとされるが、その所在地が何処であったのかは明確ではない〔『檀王法林寺 袋中上人 - 琉球と京都の架け橋 -』2011年11月。「檀王法林寺の歴史 一 檀王法林寺前史 - 望西楼と悟真寺 - 」より。〕。 良山上人の『黒衣相伝』に「五条大宮蓮華堂道光了恵上人」とあることや、浄蓮華院が所蔵する了恵自筆の『円頓戒譜』の奥書に、弟子の隆恵が文保元年(1317年)2月18日初更に洛陽五条坊門大宮悟真寺方丈の仏前で了恵より『円頓戒譜』を相承したとあり、『檀王法林寺 袋中上人 - 琉球と京都の架け橋 -』では、これを信ずるなら悟真寺は洛中五条坊門大宮にあったことになり、洛東三条と洛中五条の悟真寺が同一であるなら14世紀初頭に寺地の移動があったのではないかと推測している〔。 『檀王法林寺 袋中上人 - 琉球と京都の架け橋 -』によれば、鴨川の氾濫や応仁の乱などの戦乱を原因として、洛東三条から洛中五条に移転したとも、一時洛東三条東洞院に移転したとも言われ、移転を繰り返した後、永禄年間(1558年 - 1570年)に焼失したと伝えられるが、具体的な史実に乏しいため所在地・創建移転時期・移転の理由は正確に分かっていないのだという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「檀王法林寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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