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檜貝嚢治 : ミニ英和和英辞書
檜貝嚢治[ひがい じょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひのき]
 【名詞】 1. Japanese cypress 2. white cedar 3. chamaecyparis obtusa 4. nana lutea
: [かい]
 【名詞】 1. shell 2. shellfish 

檜貝嚢治 : ウィキペディア日本語版
檜貝嚢治[ひがい じょうじ]

檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年明治39年)11月20日 - 1943年昭和18年)1月29日)は、日本海軍軍人海兵57期太平洋戦争大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロット霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級海軍大佐
== 略歴 ==
1906年(明治39年)11月20日千葉県佐倉町(現・佐倉市)に、海軍機関大佐・檜貝秀次郎(4期)の、三男三女の二男として生まれる。1924年大正13年)3月、旧制佐倉中学(現・千葉県立佐倉高等学校)を卒業し、当時、大陸熱が盛んだったこともあり上海東亜同文書院に入学したが、彼の考えと現実は一致せず、一年次の夏休みに日本へ帰ったままで再び上海には戻らず、海軍兵学校第57期)へ進んだ。
23期飛行学生を経て、大湊空鹿屋空に勤務。支那事変日中戦争)開始以来、中支(華中)戦線での彼の爆撃行は数十回におよび、輝かしい戦果をあげた。
1941年昭和16年)11月、霞空飛行隊長、1942年(昭和17年)12月、701空飛行長としてラバウルに赴任。その飛行技術は全軍から称えられるまでになり、檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃を指揮した。
1943年(昭和18年)1月19日九六式陸上攻撃機に搭乗してレンネル島沖海戦に参加、撃墜され戦死した。檜貝の死を聞いた軍令部のある参謀は「少佐を失ったことは、戦艦陸奥』が沈んだよりも、もっと痛手だ」と嘆いたという。檜貝の死はしかし、ガダルカナル島の陸兵救出の突破口を切り開いた。
檜貝の戦死は暫く秘されていたが、1944年(昭和19年)5月29日に全軍に告知され、二階級特進して海軍大佐に任ぜられた。生まれ故郷の千葉県佐倉町では1945年(昭和20年)3月に町葬が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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