翻訳と辞書
Words near each other
・ 櫛板
・ 櫛橋伊光
・ 櫛橋伊定
・ 櫛橋伊家
・ 櫛橋伊朝
・ 櫛橋伊範
・ 櫛橋伊高
・ 櫛橋光
・ 櫛橋則伊
・ 櫛橋力
櫛橋政伊
・ 櫛橋氏
・ 櫛橋照
・ 櫛橋貞伊
・ 櫛比
・ 櫛比村
・ 櫛池村
・ 櫛淵せん一
・ 櫛淵セン一
・ 櫛淵宣根


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

櫛橋政伊 : ミニ英和和英辞書
櫛橋政伊[くしはし まさこれ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

櫛橋政伊 : ウィキペディア日本語版
櫛橋政伊[くしはし まさこれ]

櫛橋 政伊(くしはし まさこれ)は、戦国時代武将播磨国志方城主。異説もあるが(後述)、同城の最後の城主である。
== 名称について ==
実名を「政伊」とする史料は主にその子孫に伝えられたものであり、櫛橋家〔政伊の次男・定重の家。〕に伝わる「櫛橋家系図」及び「櫛橋定重象」の賛に記述があるほか、娘婿にあたる井上氏の菩提寺である福岡県北九州市の・弘善寺所蔵「井上之房夫人像」の賛の井上氏系図にもその名が確認できる。また通称は櫛橋家史料では「左京亮」、弘善寺史料では「左京進」となっており、また福岡藩の公式資料『黒田家譜』でも「左京進」とされている。「播磨上月文書」には天正3年(1575年)に「櫛左 政伊」の署名のある発給文書が存在し、「左京」を仮名とした櫛橋政伊という人物は実在のものとみられる。
しかしその実名はその他の史料によっては相違が甚だしく、志方城最後の城主として「伊則」〔赤松支流櫛橋氏との混同。『播磨鑑』でも採用されており、政伊の父とされる櫛橋則伊と同人とされている。〕、「祐貞」〔正確な時代は不明だが、祐貞名義の発給文書が残っており、少なくとも櫛橋祐貞は実在の人物であると思われる。〕、「治家」〔『細川家譜』による。〕と枚挙に暇がない。また志方城跡に建立された観音寺に伝わる「櫛橋之記」所蔵の系図に政伊に相当する人物の名はなく、他史料で父とされる伊定がその代わりに記述されている〔「伊家の子が伊定」という点では共通しているが、他史料で伊定の子女とされる人物(櫛橋光など)が揃って伊定の弟妹とされている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「櫛橋政伊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.