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櫻井 房記(さくらい ふさき、1852年9月28日(嘉永5年8月15日) - 1928年(昭和3年))は、日本の学位制度草創期の理学士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)初代所長、第五高等学校第5代校長。弟は造船学者の櫻井省三、化学者の櫻井錠二。長男は実業家で三菱重工業社長の櫻井俊記、娘婿は実業家の岩崎輝弥(三菱財閥の2代目総帥・岩崎弥之助の三男)。 == 経歴 == * 1852年9月28日(嘉永5年8月15日) - 父甚太郎と母八百の長子として、加賀国加賀藩金沢馬場一蕃丁に生まれる。 * 1869年(明治2年) - 藩費生として開成学校(後の大学南校、現在の東京大学)に入学。 * 1870年(明治3年) - 大学南校で貢進生に選ばれる。 * 1878年(明治11年)12月24日 - 東京大学仏語物理学科第1期卒業。 * 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の初代所長となる。 * 1882年(明治15年) - フランスへ留学する。 * 1883年(明治16年) - 高等師範学校教授となる。 * 1885年(明治18年) - 第1回中等教員検定試験の学力試験委員となる。 *: 第五高等学校へ赴任する第4回まで、引き続き学力試験委員を勤める。 * 1890年(明治23年) - 第五高等中学校(1894年第五高等学校に改称)教授となり、東京物理学校の教師を辞する。 * 1895年(明治28年) - 第五高等学校教頭となる。 *: 同校の新任教師であった夏目漱石に、イギリス留学を薦める〔夏目漱石、『私の個人主義』、1914年講演〕。 * 1897年(明治30年) - 工学部初代主事となる。 * 1898年(明治31年) - 夏目漱石に、加賀宝生流の能楽を教える。 * 1900年(明治33年)4月 - 第五高等学校校長となる。 * 1907年(明治40年)1月 - 第五高等学校校長を辞する。 * 1908年(明治41年) - 大韓帝国皇太子の教育係となる。 * 1917年(大正6年)4月 - 東京物理学校の主事となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「櫻井房記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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