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桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日〔スカイラインの父:桜井真一郎氏死去 スポーツニッポン 2011年1月19日閲覧〕)は日本の自動車技術者。株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。神奈川県出身。戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。 旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。2代目の途中〔桜井眞一郎著『スカイラインとともに』神奈川新聞社 2006年4月 ISBN 978-4876453740〕からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。 また、清水建設に勤務していた時代に、日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した人物でもある。 ==略歴== #以下、参考文献は「出典」欄に示す〔荻友会編 『「プリンス」荻窪の思い出 - II』 1997年11月16日刊 (私家版)〕〔(株)エス・アンド・エス・ホールディングス公式サイト 創業者略歴ページ 〕〔日本自動車殿堂公式サイト 殿堂者桜井眞一郎紹介ページ 〕。それぞれを照らし合わせ、微修正した。一次資料としては荻友会編『「プリンス」荻窪の思い出 - II』を最優先した。 #「プリンス自動車工業」という社名は世に2度登場するので、以下では便宜上、(旧)(新)と括弧書きで付記した。 *1929年(昭和4年)4月3日 神奈川県横浜市生まれ *1951年(昭和26)年3月 横浜国立大学 機械工学部卒業 *1951年(昭和26)年4月 清水建設 機械部配属 *1952年(昭和27年)10月 たま自動車 設計課配属(課長は田中次郎、課長代理は初代スカイライン、初代グロリア、2代目グロリアの開発責任者を務める日村卓也) *1952年(昭和27年)11月 たま自動車、プリンス自動車工業(旧)と改称 *1954年(昭和29年)4月 プリンス自動車工業(旧)、富士精密工業と合併(富士精密の中川良一が合併会社の設計部長となる) *1961年(昭和36年)2月 富士精密工業、プリンス自動車工業(新)と改称(旧社名に戻す) *1963年(昭和38年)9月 乗用車部 車両設計一課 課長代理 *1965年(昭和40年)6月 車両技術第一部 車両設計二課 課長代理 *1966年(昭和41年)8月 日産自動車とプリンス自動車工業(新)合併 *1966年(昭和41年)8月 日産自動車プリンス事業部 第一車両技術部 第二車両設計課 課長代理 *1968年(昭和43年)1月 第四設計部 第二車両設計課 課長 *1970年(昭和45年)1月 第四設計部 第八車両設計課 課長 *1971年(昭和46年)1月 第三車両設計部付 *1974年(昭和49年)2月 第三車両設計部 主任車両担当員 *1976年(昭和51年)2月 第三車両設計部 次長 *1979年(昭和54年)1月 商品開発室 主管担当員 *1980年(昭和55年)1月 商品開発室 主管担当員 (部長待遇) *1984年(昭和59年)2月 商品開発室 車両開発統括部 部長 *1986年(昭和61年)1月 技術車両設計部 部長 *1986年(昭和61年)10月 オーテックジャパン 代表取締役社長 *1989年(平成元年)4月 大阪産業大学 非常勤講師 *1994年(平成6年)12月 エス・アンド・エスエンジニアリング 代表取締役 *1995年(平成7年)10月 東海大学 非常勤講師 *2005年(平成17年)5月 日本自動車殿堂入り(殿堂者) *2006年(平成18年)8月 エス・アンド・エスエホールディングス 代表取締役 *2008年(平成20年)10月 レンツ・エンバイアメンタル・リソーシーズ 取締役会長 *2010年(平成22年)7月 エス・アンド・エスエンジニアリング 取締役会長 *2011年(平成23年)1月17日 逝去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桜井眞一郎」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shinichiro Sakurai 」があります。 スポンサード リンク
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