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欧州のための憲法を制定する条約(おうしゅうのためのけんぽうをせいていするじょうやく)は、欧州連合における憲法を制定することを企図したものの、未発効となった国際条約。略して欧州憲法条約ともいう。その包括的な性格からさらに「欧州憲法」とも呼ばれる。 2004年に当時の欧州連合加盟25か国の代表により署名されたが、発効にはすべての加盟国における批准を要した。加盟国の多くでは、議会における採決または国民投票により批准されたが、フランスとオランダにおける国民投票では批准が拒否された。本条約の狙いは、従来より事実上の憲法を構成している複数の基本条約と置き換え、欧州連合全体での人権規定を法文化し、またその後の27か国体制における意思決定を効率化することであった。 欧州憲法条約は2004年10月29日にローマにおいて加盟国の代表により調印された。その後それぞれの国内において批准手続きが進められていたが、2005年にフランス(5月29日)とオランダ(6月1日)で実施された国民投票で本条約の批准が拒否された。両国での市民の本条約に対する賛成を得られなかったことによって、ほかの加盟国の一部で批准手続きが延期または凍結されることとなり、また直後の欧州理事会において「熟慮期間」が置かれることになった。なお仮にすべての加盟国が批准を済ませていれば、本条約は2006年11月1日に発効することになっていた。結果的には18の加盟国(2007年1月に加盟することになっていたブルガリアとルーマニアを含む。またこのなかには国民投票を実施したスペインとルクセンブルクを含む)が本条約を批准したものの、フランスとオランダの批准拒否を受けて7か国が批准手続きを延期した。 熟慮期間が置かれたのち、欧州理事会は2007年6月の会合で欧州憲法条約の代替策として改革条約についての協議を開始することを決定した。 == 経緯 == === 起草 === 欧州憲法条約はアムステルダム条約とニース条約によって修正された主要な2つの基本条約であるローマ条約(欧州共同体設立条約)とマーストリヒト条約(欧州連合条約)をひとつの条約にまとめるということを原点としていた。近年のヨーロッパの将来に関する協議は、欧州統合の最終的な目標についての議論を求めていたドイツ外相ヨシュカ・フィッシャーによる2000年のベルリンにおける演説により強く後押しされたとされている。 具体的な作業は2001年12月のラーケン宣言を受けて着手され、このとき元フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンを議長とする、欧州憲法条約草案を作成する「欧州の将来に関するコンベンション」が設置された。ジスカール・デスタンはコンベンションの参加者に対して「あなた方が生まれ故郷において馬に乗ったあなたの像を建てることを望むのならば、欧州憲法条約の起草は欠かすことができないことである」と呼びかけたが、このジスカール・デスタンの発言はのちに自らの出身国で草案に対する不支持が明確となったさいに失笑を招くものとなった。そして2003年7月に「欧州のための憲法を制定する条約案」は発表された。 その後欧州委員会委員長ロマーノ・プローディは諸国の統合の深化やより明快な機構モデルを盛り込んだ欧州憲法条約案について支持を表明し、条約を「ペネロペ・プロジェクト」と表現した。 イタリアの議長国任期中における政府間協議で長期にわたった議論ののち、特定多数決方式の枠組みについて対立が起きたが、欧州憲法条約最終草案が2004年6月に取りまとめられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「欧州憲法」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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