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歌う革命(うたうかくめい、)は、1987年から1991年にかけて発生した、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立を目的とする一連の出来事の総称。「歌う革命」()の名はエストニア人の活動家・芸術家のヘインツ・ヴァルクが、この革命で盛んに行われた音楽を利用したデモにちなんで命名した。 ==背景== 第二次世界大戦後、バルト諸国は1944年に占領されて以来、完全にソビエト連邦に併合されていた。 1985年、ミハイル・ゴルバチョフが急降下しているソビエト経済の回復と生産性の向上を願って グラスノスチとペレストロイカを導入すると、消費財の分野を中心に共同生産体制が緩和され、同時に政治活動への規制も廃止された。このことは40年代の戦争でソ連に併合された非ロシア地域にとって、独立運動開始への契機となった。グラスノスチによって未公開の秘密が公になったためにアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)や チェルノブイリ原子力発電所事故についての不満が高まり、それを放送したり、政治の舞台でアピールする者も現れた。エストニアの関心は、リン鉱山をはじめとする大規模開発によって外国人が流入し、エストニアの国民国家としての基盤を脅かしている事にあった〔''Estonia and the Estonians'', Toivo U. Raun, Hoover Press, 2001, p. 223〕。 西側への亡命者たちとの繋がりや、とりわけエストニアでは、フィンランドとの地下交流、またフィンランドのテレビ放送が受信できたことが国民に西側の生活様式への憧憬を抱かせ、高まったソビエト体制への不満が全国的なデモを惹起し、このデモの効果もあって1980年の終わりにかけて国家主義者、宗教者、そして一般市民への抑圧はかなり緩和された。市民への抑圧が緩和されるや否や、たちまち巨大なデモの波がソ連を覆い尽くした。モスクワのソ連首脳はロシア以外の連邦構成国に言論の自由や独自の国旗(ソ連に占領される以前の国旗など)を許しても構成国はなおソ連に留まり続けると考えていた。ところが、1989年にはソ連からの完全な独立を求める運動の発生を許すほどにまで状況は悪化した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌う革命」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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