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歌川 国虎(うたがわ くにとら、生没年不詳)は江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 歌川豊国の門人。姓は前田、通称は久米蔵または繁蔵。一竜斎と号す。作画期は文化(1804年 - 1818年)から天保(1830年 - 1844年)年間で、歌川派でありながら遠近法を用いて葛飾北斎のような洋風の風景画を描いた。異国の風物や西洋銅版画に興味を持ち、立体表現と遠近を強調した独自な表現派的画風を示した。その色彩も個性的なものであった。国虎は極めて変わり者で、絵を描くのがあまり好きではなく、それでいてたまに描くと天才的に巧いといわれ、師の豊国が国虎に代作をさせたこともあった。また書をよくし碁と釣りを好み、服装には無頓着で生涯独身を通し、家を持たずに世話になった甥の家で安政(1854年-1860年)の頃、60余歳で死去したとされる。 国虎の作品は極めて少ないが、浮絵がほとんどであった。代表作として「近江八景」8枚揃があげられ、板ぼかしを用いて陰影をつけ、うねるような土坡の立体表現に不思議な造形感覚がある。同じ江戸の風景でも総て強度の遠近法を用い、極めて個性的であった。その斬新な表現は、20世紀現代美術のパブロ・ピカソのキュビズム表現が既に江戸時代に浮世絵師によって試みられていたともいえる。また「羅特島湊(らこすとう)紅毛船入津之図」は、ギリシアのロドス島にあったといわれる港口の巨大な彫像であったロドス島の巨像を描いたもので、異色中の異色作である。国虎の描く風景画は昇亭北寿と 歌川国芳とを連絡させるような感じのあるもので、西洋銅版画の影響を蒙ったことが最も大きい。丸いカーブを多用している点にその特色が認められ、樹木の描法などには歌川豊春の浮絵に表れた作風をもかなり交えているが、雲の描法その他においても、豊春らよりもさらに写生的に細心の注意を払った点が見て取れる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌川国虎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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