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歌志内興産株式会社(うたしないこうさん)は、北海道のガラス加工会社。 ==沿革== 歌志内興産の前身となった空知産業は、北海道炭礦汽船(北炭)のグループ会社として歌志内市の空知炭鉱を運営していた空知炭礦株式会社の子会社で、露頭炭の採掘を主な業務としてきた〔「空知砿再建へ好材料 グループ24社存続決定 イメージ悪化回避」『北海道新聞』1995年(平成7年)6月23日付朝刊8面。〕〔情報誌刊行が主要業務の空知産業有限会社(芦別市、1984年設立、2007年に「エスタ」に改名)とは別の会社。〕。しかし国が新石炭政策に基づき業界の構造調整を推し進める中、空知炭礦も業務多角化を強いられ、1992年7月、新分野開拓の第一弾として空知産業を主体に軍手製造に参入した〔「作業用手袋製造へ 空知炭砿が経営多角化 工場建設用地で地鎮祭」『北海道新聞』1992年(平成4年)6月16日付朝刊8面。〕。当初、軍手の出荷先は北炭グループ関係を介した限られた範囲であったが、1992年11月には道内ホームセンター大手の石黒ホーマと業務提携し販路を拡大した〔『日本経済新聞』1992年(平成4年)11月11日付地方経済面(北海道)。〕。空知炭礦はこれに加えて露頭炭採掘跡地を利用したワイン用ブドウの栽培にも着手、採炭機械の製造修理を行う子会社の赤間工作所(赤平市)は業務を一般機械に広げるほか〔『日本経済新聞』1992年(平成4年)9月26日付地方経済面(北海道)。〕、1994年にはガラス加工にも進出を決め〔『北海道新聞』1994年(平成6年)7月26日付朝刊11面。〕、1994年10月には歌志内で加工場の建設が開始された。板ガラスの仕入れや加工品の販売には既に輸入板ガラス販売を手がける北炭のルートを利用し、1995年5月から生産を開始する計画であった〔「歌志内 ガラス加工場が着工 空知炭砿の新分野事業 来年5月から操業」『北海道新聞』1994年(平成6年)10月8日付朝刊8面。〕〔『日本経済新聞』1994年(平成6年)10月12日付地方経済面(北海道)〕〔「空知炭砿が新事業 ガラス加工や緑化工事」『日経産業新聞』1994年(平成6年)10月17日付13面。〕。 ところが1995年1月、空知炭礦は組合に炭鉱閉山を通告〔「空知炭砿3月閉山 労組に正式提案」『日本経済新聞』1995年(平成7年)1月26日付夕刊1面。〕〔「空知砿 閉山、全員解雇を提案 退職金、上乗せなし 労使交渉は難航必至 29日に全山大会」『北海道新聞』1995年(平成7年)1月26日付夕刊1面。〕、2月には空知炭礦と親会社の北海道炭礦汽船が会社更生法の適用を申請し〔「北炭、更生法を申請 負債総額882億円 空知炭砿も申請 合理化対応も及ばず」『日本経済新聞』1995年(平成7年)2月6日付夕刊1面。〕〔「北炭が会社更生法申請 空知砿など8社も「倒産」 負債1420億円 戦後21番目の「大型」」『北海道新聞』1995年(平成7年)2月6日付夕刊1面〕、3月には炭鉱が閉山となった〔「空知炭砿が閉山」『日本経済新聞』1995年(平成7年)3月19日付朝刊7面。〕〔「空知炭砿 105年の歴史に幕 斜坑にお神酒かけ別れ」『日本経済新聞』1995年(平成7年)3月19日付朝刊31面。〕〔「空知炭砿 閉山 105年歴史に幕」『北海道新聞』1995年(平成7年)3月18日付夕刊1面。〕。空知産業は自立性が高いとして存続されることになり〔「北炭グループ 6社を特別清算 空知産業など24社は存続」『北海道新聞』1995年(平成7年)2月6日付夕刊2面〕、ガラス加工事業などほかの存続事業を統合し、歌志内興産の社名で再出発を図ることになった〔「空知炭砿の2子会社 経費節減目指し合併」『北海道新聞』1995年(平成7年)11月3日付朝刊8面〕。空知炭礦と北炭との資本関係は解消されるものの、ガラスの仕入れや販売においては業務提携の形で関係が維持されることになった〔「6年で18億円弁済 空知炭砿 更生案を提出」『北海道新聞』1996年(平成8年)2月10日付朝刊9面〕。しかし新事業の滑り出しはいずれも順調とは言えなかった。ガラス事業は1995年9月から本格的に稼働を始めたものの〔『北海道新聞』1995年(平成7年)10月18日付朝刊26面(空知)。〕、業界が大手の寡占状態にあり〔「ニュース探査 歌志内 空知炭鉱閉山1年 ミニ市の灯消すな 企業誘致に続く苦闘 再雇用待つ300人 国の支援縮小へ」『北海道新聞』1996年(平成8年)3月16日付朝刊3面。〕、1996年6月のJIS取得までは販路の拡大もままならぬ状況にあった〔『北海道新聞』1996年(平成8年)6月13日付朝刊27面(空知)。〕。1996年春から始めたそば栽培はシカに畑を荒らされ断念〔「サラリーマンと呼ばないで 根をおろす 鶏と炭鉱マン② 「成功するのかな」」『毎日新聞』2003年(平成15年)3月5日付東京朝刊9面。〕、機械工作部門は工場が火災で焼失し閉鎖を余儀なくされた〔『北海道新聞』1996年(平成8年)11月5日付朝刊26面(空知)。〕。 1997年には秋田の飲食店チェーンより比内地鶏の委託生産の引き合いがあり養鶏事業に参入、飲食店チェーン側の方針変更により事業化には至らなかったものの〔「サラリーマンと呼ばないで 根をおろす 鶏と炭鉱マン③ 「生き物を扱えるのか」」『毎日新聞』2003年(平成15年)3月6日付東京朝刊9面。〕、飼育経験を生かして道畜産試験場が開発した「北海地鶏」の飼育に転じた。飼育方法で試行錯誤を重ねた後、2000年に札幌市内のホテル向けに依頼した試食で好評を得て事業は本格化〔「サラリーマンと呼ばないで 根をおろす 鶏と炭鉱マン④ 「今度こそうまくいく」」『毎日新聞』2003年(平成15年)3月7日付東京朝刊9面。〕〔『北海道新聞』2001年(平成13年)8月18日付朝刊23面(空知)。〕、2002年には直営店「北海地鶏庵」を出店し〔「サラリーマンと呼ばないで 根をおろす 鶏と炭鉱マン① 「仕事は何とか探す」」『毎日新聞』2003年(平成15年)3月4日付東京朝刊9面。〕〔「北海道 競争力を問う メードイン北海道の挑戦⑧ 歌志内市の北海地鶏 炭鉱地で放し飼い 脂のり歯ごたえある品質」『日本経済新聞』2003年(平成15年)8月23日付地方経済面(北海道)。〕、飲食店からも好評を得た〔「サラリーマンと呼ばないで 根をおろす 鶏と炭鉱マン⑤ 「街に活気を戻したい」」『毎日新聞』2003年(平成15年)3月8日付東京朝刊11面。〕。2005年には養鶏場や加工工場を新設、2007年時点では年間2万羽を出荷するまでに拡大した。しかし、2008年からの不況で高級食材の需要が急激に縮小、養鶏事業からも2009年に撤退した〔津田祐慈「空知炭礦など養鶏事業撤退 「雇用増期待したが」 地元から落胆の声」『北海道新聞』2009年(平成21年)9月25日付朝刊29面(空知)。〕。 2012年時点では、ガラス加工事業が運送事業に次ぐ主要事業となっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌志内興産」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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