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歓喜光寺(かんきこうじ)は、京都市山科区にある時宗の寺院。山号は紫苔山。院号は河原院。本尊は阿弥陀如来。開山は聖戒。かつて時宗十二派のうちの六条派の本山であった。 ==歴史== 歓喜光寺の開山である聖戒は、宗祖一遍の高弟で、一遍の諸国巡礼に随伴した僧であり、一遍の実弟ともいわれている。『弥阿上人行状』等によると(「弥阿上人」は聖戒のこと)、歓喜光寺は正応4年(1291年)、綴喜郡八幡(現・京都府八幡市)に善導寺として創建されたという。石清水八幡宮に近いこの地が寺地として選ばれたのは、八幡神の本地を阿弥陀如来とする信仰による。一遍が八幡神に帰依し、弘安9年(1286年)石清水八幡宮に参詣したことは『一遍上人絵伝』巻九にも見える。それから数年後の正安元年(1299年)、寺は関白九条忠教の庇護のもと、六条東洞院(現・京都市下京区)の源融左大臣の旧跡(六条河原院)へ寺地を移すとともに、菅原是善(菅原道真の父)の旧邸(現・京都市上京区堀松町)の天満宮とその神宮寺である歓喜寺を合併した。この際、寺号を歓喜光寺に改め、所在地から「六条道場」とも称するようになった。 応仁の乱の後、寺は高辻烏丸(現・京都市下京区)に移転し、さらに天正年間(1573 - 1592)に豊臣秀吉によって四条京極へ移転させられて、近世を通じて同地にあった。この地は現在の京都市中京区中之町(新京極通り四条上る)であり、境内にあった天幡宮だけが繁華街の中に残されて、錦天満宮と称している。 寺はその後、明治40年(1907年)、東山にあった法国寺と合併し、法国寺の所在地である東山区遊行前町(五条通東大路上る)に移転した。東山五条の交差点の近く、大谷本廟などの所在する地区である。法国寺は後陽成天皇の母・新上東門院が、父・勧修寺晴右の追善のために建てた寺で、当初「豊国寺」と称したが、豊臣秀吉の没後、徳川家をはばかって「法国寺」に改称したという。移転はさらに続き、昭和50年(1975年)には駐車場建設のため東山区の旧地を立ち退き、郊外の山科区に移転した。 なお、国宝の絵巻『一遍上人絵伝』(12巻)は、もと歓喜光寺に伝来したものであるが、20世紀末頃に清浄光寺(時宗本山、神奈川県藤沢市)の所有になっている〔絵巻は一時期歓喜光寺と清浄光寺の共有となったが、その後清浄光寺の単独所有となっている〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歓喜光寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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