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正井 泰夫(まさい やすお、1929年(昭和4年) - 2012年(平成24年)11月20日〔本学名誉教授 正井泰夫先生が逝去されました 立正大学 2012年(平成24年)11月30日閲覧〕)は、日本の地理学者、立正大学名誉教授。 == 来歴 == 1929年(昭和4年)、東京府東京市小石川区小日向台町一丁目(現・文京区小日向二丁目)に生まれる〔戦前戦中のお茶大付近(「お茶の水地理」50 号によせて) 。 1942年(昭和17年)に旧制東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。学徒勤労動員により東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)正門付近の建物の取り壊し作業などにも従事。1945年(昭和20年)5月25日深夜の最後の東京大空襲では、江戸川橋方面より迫る火の手から逃れるため家族とともに徒歩10分の附属中へ逃げたが、目の前で木造校舎が焼け落ちたため、護国寺に避難した〔。 その後も戦後占領期にかけて学び、1947年に東京高師附属中を卒業。アルバイトのひとつとしてやった米軍基地での労務作業などを契機に英語力を磨く〔正井,2000,pp.25-26.〕。1953年(昭和28年)、(旧制)東京文理科大学の最後の卒業生のひとりとして地理学科を卒業。同大学では、青野寿郎、尾留川正平の下で学ぶ〔正井,2000,p.19.〕。 1957年(昭和32年)にフルブライト留学生として渡米し、1960年(昭和35年)、ミシガン州立大学大学院博士課程修了〔正井,2000,pp.24-25.〕。1962年(昭和37年)、「静岡地域およびLansing地域の比較研究」により、(旧制)東京文理科大学大学院より理学博士を取得。博士号の主査は青野寿郎が務め、は東京文理科大学の地理学系では最後の博士号取得者(学位記番号394)となった〔東京教育大学理学部地理学教室,1977,p.24〕。 1963年(昭和38年)、立正大学地理学科講師。1974年(昭和49年)、お茶の水女子大学教授。1975年(昭和50年)、筑波大学教授。1984年(昭和59年)、立正大学文学部教授、のち、1998年(平成10年)地球環境科学部教授を経て、2000年(平成12年)に退職後、名誉教授。この間、日本地理教育学会会長、日本国際地図学会会長などを歴任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正井泰夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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