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正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、奈良県の東大寺正倉院宝庫(中倉)に保管されてきた文書群である。文書の数は1万数千点とされる。 正倉院中倉には東大寺写経所が作成した文書群が保管されていた。この写経所文書を狭義の正倉院文書と呼ぶ〔丸山裕美子『正倉院文書の世界』P1-2。宝物名としては「正倉院古文書」。〕。今日に残る奈良時代の古文書のほとんどを占めている〔皆川完一「正倉院文書について」(『正倉院文書展』所収)〕。紙背文書に戸籍など当時の社会を知る史料を含み、古代史の研究に欠かせない史料群として重要視されている。 正倉院には中倉の写経所文書の他に、北倉文書などがあり、これらを含めて(広義の)正倉院文書と呼ぶことがある。以下、写経所文書を中心に説明する。 == 文書の成立 == ===東大寺写経所=== 東大寺写経所は皇后宮職・造東大寺司の下職である。元は藤原光明子の私的な機関であったが、聖武天皇の皇后となって皇后宮職の下に置かれ、後に造東大寺司の下に置かれた。玄昉が唐から持ち帰った経典をもとに736年(天平8年)から一切経の書写を始め、この写経事業は756年頃まで続いた。光明皇后が740年(天平12年)5月1日に願文を記したため、「五月一日経」と呼ぶ〔丸山前掲書P170-174、178〕。 写経所文書は、天平期を含む8世紀の約50年間(727年-776年、神亀4年-宝亀7年)に、東大寺写経所で作成された帳簿類である。この中には五月一日経に関する史料も多い。当時、紙は貴重品で、不要となった文書の裏面を帳簿に再利用していた。写経所文書の紙背文書の中には、戸籍や計帳、正税帳などの公文書が含まれていた。 帳簿類が正倉院中倉に収められた経緯はわかっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正倉院文書」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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