翻訳と辞書
Words near each other
・ 正木憲時
・ 正木敦
・ 正木旲
・ 正木明
・ 正木時堯
・ 正木時忠
・ 正木時綱
・ 正木時茂
・ 正木時茂 (正木時綱子)
・ 正木時茂 (里見義頼子)
正木時通
・ 正木晃
・ 正木村
・ 正木村 (岐阜県稲葉郡)
・ 正木正
・ 正木正明
・ 正木氏
・ 正木氏 (安房国)
・ 正木流
・ 正木清


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

正木時通 : ミニ英和和英辞書
正木時通[まさき ときみち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
正木 : [まさき]
 (n) spindle tree
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

正木時通 : ウィキペディア日本語版
正木時通[まさき ときみち]

正木 時通(まさき ときみち)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将正木時忠の長男。通称は十郎〔戦国人名辞典編集委員会892 〕。
== 生涯 ==
里見義弘に属していたが、伯父の時茂の死後、大多喜正木氏が弱体化すると、父の時忠里見氏から自立することを目指すようになり、永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦の直前に里見氏から離反するとともに〔、弟の頼忠人質として北条氏康に差し出し、里見氏に従う従兄弟の憲時を攻撃して上総国に勢力を伸ばした。永禄9年(1566年)5月11日、北条氏の出陣要請を受け、時通は北条氏政の軍勢に派遣されており、翌永禄10年(1567年)には北条氏に武器の提供や援軍要請などを行っている〔。
以後、北条氏に属する勝浦正木氏当主として里見氏と争うが、時通はあくまでも里見氏によって抑え込まれていた自己の勢力拡大に主眼を置いており、同じ北条傘下の千葉胤富を攻撃してその領地を奪ったため、次第に周辺勢力から孤立する。
天正年間初頭には里見氏に復帰したとされ、天正2年(1574年)に北条領国の上総国大坪に侵攻している〔。天正3年(1575年)11月8日の深夜に三原城〔『寛政重修諸家譜』856頁。〕で病死した。なお、安房妙本寺鎌倉妙本寺にほぼ同一の時通死去の記録が残っているが、深夜に死去したため、死亡日が1日ずれているという〔。墓所は時通が復興した千葉県南房総市日運寺〔。法号は日運〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「正木時通」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.