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正栄尼 : ミニ英和和英辞書
正栄尼[しょうえいに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [さかえ, はえ]
 【名詞】 1. glory 2. prosperity
: [あま]
 【名詞】 1. (col) nun 2. bitch 

正栄尼 : ウィキペディア日本語版
正栄尼[しょうえいに]
正栄尼(しょうえいに、生年不詳 - 慶長20年5月7日1615年6月3日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。豊臣秀頼乳母。父は明智光秀浅井長政などともいわれている。
渡辺昌の妻となり、渡辺糺つるを出産した。後に豊臣秀頼の乳母となった。
慶長19年(1614年)、京都方広寺鐘銘問題を機に豊臣家徳川家康との関係が悪化すると、大蔵卿局とともに幕府との折衝により、家康と直接面会して弁解することに成功した。大坂に戻った後、意見の食違った片桐且元を糾弾。且元は大坂城を退去することとなった。
慶長20年(1615年)5月7日、大坂夏の陣にて、淀殿・秀頼に先立ち、渡辺糺を介錯し、自害した。戒名は往相院西誉正栄大姉。清涼寺には肖像画がある。
== 出典 ==

* 日本女性人名辞典
* 戦国人名事典
* 日本の美術 女性の肖像



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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