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正田耕三 : ミニ英和和英辞書
正田耕三[しょうだ こうぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [み]
  1. (num) three 

正田耕三 : ウィキペディア日本語版
正田耕三[しょうだ こうぞう]

正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者、野球解説者
== 経歴 ==

=== アマチュア時代 ===
和歌山市駅近くにある蕎麦屋〔『Number』1998年8月13日号、P.113〕の長男として生まれた。小学3年生で野球を始め、和歌山市立城東中学校では学童野球で全国優勝を経験した。なお旧名は「耕造」だったが、中学生時代に自宅の階段から落ちて足を骨折したのを機に改名した〔『月刊THE CARP』〕。市立和歌山商業高校では卓抜した守備能力で1年の夏から二塁手のレギュラーとなった〔『毎日新聞』2005年3月6日付朝刊、和歌山地方面〕が、石井毅嶋田宗彦のバッテリーを擁する箕島高校の存在もあり〔、甲子園出場はならなかった。
高校卒業後は社会人野球新日鉄広畑へ進み、にはロサンゼルスオリンピック日本代表として二塁を守り、主に一番打者を務めて15打数6安打の成績で金メダル獲得に貢献した。監督の松永怜一からはプレーとともにリーダーシップを賞賛された〔『週刊ベースボール』1998年10月19日、P.36〕。オリンピック後、同年のドラフト会議広島東洋カープから2位で指名された。正田自身は少年時代から熱狂的な阪神タイガースファンであり、かつ広島側から事前に打診がなかったことから入団が危ぶまれたが、「自分は阪神ファンだが、プロであるからこれからは広島に野球をしにいく」と語り広島に入団した〔後藤正治『スカウト』〕。アマチュア野球の最高峰でプレーしたことでさらに一段階上のレベルに挑戦したくなり、もし芽が出なければ3年で辞めて家業の蕎麦屋を継ぐつもりだった〔『週刊ベースボール』1998年12月21日、P.12〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「正田耕三」の詳細全文を読む




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