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『正義と微笑』(せいぎとびしょう)は、太宰治の長編小説。 1942年(昭和17年)6月10日、錦城出版社より「新日本文藝」叢書の一冊として刊行された。装幀は藤田嗣治。初版発行部数は10,000部、定価は1円50銭だった〔 『太宰治全集 第5巻』筑摩書房、1990年2月27日、477頁。解題(山内祥史)より。〕〔『太宰治全集 5』ちくま文庫、1989年1月31日、404頁。解題(関井光男)より。〕。 == 執筆の時期・背景 == 1941年(昭和16年)12月9日、太宰は弟子の堤重久から弟の堤康久の日記の話を聞くと、即座にこれを小説の題材にすることを思い立つ。15、6歳の頃から書き続けられた弟康久の日記は、兄重久によれば次のようなものであった。 「簿記帳みたいな黒いクロス表紙の、縦がきのノートに、蟻を並べたような小さな文字で、平均一日おき位の割合で、きっちり丹念にかきこんであった。(中略) 随所に、わざと大混乱の文体で、盛んに!や、?を使って、学校や教師に対する罵言、友人に対する侮弄、自己嫌悪の慨嘆、切々たる未来への憧憬が、激しい口調で、それでいてユーモラスに綴られていた。十六歳前後の、少年にしか書けない、どろどろした、切ない何物かがあった。まだ岩にならい岩漿が、赤く、熱く、火花を散らして、行間に流れていた」〔堤重久 『太宰治との七年間』筑摩書房、1969年3月8日。〕 また重久は本作品と日記を比べ、こう述べている。 「全篇に滲んでいるキリスト臭は、弟の日記には一抹もなく、当時私たちをとらえていたマルクスを、そっくりキリストに切り変えたものである」〔『太宰治全集 第五巻 月報5』筑摩書房、1956年2月20日。堤重久「『正義と微笑』の背景」。〕 本作品は、1942年(昭和17年)1月に書き始められ、同年3月19日に完成したものと推測される(原稿用紙292枚)〔 『太宰治全集 第5巻』筑摩書房、1990年2月27日、479-480頁。解題(山内祥史)より。〕。あとがきで太宰は「T君の日記は、昭和十年頃のものらしく、従つてこの『正義と微笑』の背景も、その頃の日本だといふ事も、お断りして置きたい」と記している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正義と微笑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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