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正親町三条 公雅(おおぎまちさんじょう きんまさ)は室町時代前期の公卿。正二位権大納言。贈内大臣〔急死したため、実雅の時代に内大臣が追贈されたと考えられる。〕。紹宏院と号す。父は権大納言正親町三条実豊。母は不詳。 子には内大臣に至った実雅、室町幕府第6代将軍足利義教室となった尹子(瑞春院)らがいる。。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 応永13年(1406年)3月24日、参議に任ぜられる〔任参議以前の官歴は不明である。〕。この時、正四位下右中将。応永14年(1407年)1月5日、従三位に叙せられる。同年3月29日、近江権守を兼ねる。応永17年(1410年)1月5日、正三位に昇叙。応永18年(1411年)閏10月9日、権中納言に任ぜられる。同年11月24日、帯剣を許される。応永19年(1412年)1月5日、従二位に昇叙〔この時までに太宰権帥を兼ねていたか。〕。応永20年(1413年)2月22日、喪に復すが同年3月5日には重ねて喪に服す。応永25年(1418年)6月5日、権大納言に任ぜられる。応永26年(1419年)1月6日、正二位に昇叙。応永34年(1427年)8月12日、薨去〔頓死の注記あり。〕。享年44。法名は祐戒。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正親町三条公雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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