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正親町三条 実豊(おおぎまちさんじょう さねとよ)は室町時代初期の公卿。正二位権大納言。父は内大臣正親町三条公豊。母は不詳。子には権大納言に至った公雅と女子がいる。 日記『実豊卿記』の一部が残欠として伝わっている〔『東京大学史料編纂所報』第15号p.56〕。後押小路内大臣三条公忠の日記『後愚昧記』には、後光厳天皇の外戚であり、かつ三条公忠の縁故者である正親町三条実継・実音兄弟からの情報が取り込まれているようである〔『東京大学史料編纂所報』第16号p.20〕。実豊の日記も持明院統外戚家の記録として重んじられた可能性がある。 なお、弟の公保は実子のないまま権中納言で早世した三条西実清の跡を継いで、内大臣に至った〔 *原 勝郎、『東山時代に於ける一縉紳の生活』による。〕。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 至徳2年/元中2年(1385年)、参議右中将として初出〔任参議以前の官歴は不明である。この時、正四位下。〕。同年3月27日に能登権守を兼ね、従三位に叙される。明徳元年/元中7年(1390年)2月1日、相模権守を兼ねる。明徳3年/元中9年(1392年)1月6日、正三位に昇叙。応永2年(1395年)4月7日、権中納言に任ぜられる。応永3年(1396年)1月5日、従二位に昇叙。応永4年(1397年)12月19日、権大納言に任ぜられる。応永7年(1400年)1月5日、正二位に昇叙。応永11年(1404年)4月10日、父・公豊に先立って薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正親町三条実豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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