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正親町源氏 : ミニ英和和英辞書
正親町源氏[おおぎまち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
源氏 : [げんじ]
 【名詞】 1. (1) Genji (the character in the Genji Monogatari) 2. (2) the Minamoto family 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

正親町源氏 ( リダイレクト:広幡家 ) : ウィキペディア日本語版
広幡家[ひろはたけ]

廣幡家(ひろはたけ)は、清華家新家、内々)の家格を有する公家桂宮家の分家。本姓源氏。家系は正親町源氏で、豊臣秀吉猶子となった八条宮智仁親王から始まる八条宮家の流れをくむ。
家紋十六葉裏菊官位従一位内大臣〔ただし、右近衛大将は兼ねない。〕を極官とした。家禄は500石(当初は1000石)。
廣幡家が明治維新までに出した公卿の数は 8名。うち内大臣まで昇った者 5名、大納言まで昇った者 3名である。



== 歴史 ==
廣幡家は江戸時代前期、正親町天皇の皇孫で陽光院太上天皇誠仁親王の第六王子・八条宮智仁親王の三男忠幸が、1664年(寛文4年)に源氏の姓を賜り一家を創立し、廣幡を称したことに始まる。忠幸は最初、尾張藩に赴き名古屋城で暮らしていたが、のち帰洛して公家となり大納言にまで進んだ。
1669年(寛文9年)、忠幸が薨去して男子がなかったため断絶するところであったが、同じく源氏清華家の家格を有する久我家からの養子継承が許された。ただしこの時に家禄を当初の1,000石から500石に減らされている。
江戸時代の廣幡家当主は代々五摂家のひとつ近衛家猶子となり偏諱を賜っている。
明治維新後、1884年(明治17年)に制定された華族令により当時の当主忠礼侯爵位を賜る。その子忠朝侍従を務めた。忠朝の子・忠隆逓信省に入って灯台局長・管船局長となり、さらに宮中に入り皇后宮大夫兼侍従次長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広幡家」の詳細全文を読む




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