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武内 久士(たけうち ひさし、1987年11月29日 - )は、徳島県出身のプロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == ===プロ入り前=== 藍住南小4年時に藍住南タイガースで軟式野球を始め、6年の時のポジションは投手兼外野手。藍住中では硬式の藍住シニアに入り、投手兼一塁手。 徳島城東高では、2年春にはエースナンバーをつけ、3年夏に全国選手権徳島県大会ベスト8。高校時代から140km/h後半の速球で数球団のスカウトが注目するも、法政大学(経営学部経営学科)に進学。 大学2年時から150km/hを越すストレートで一躍注目を集め、3年時には法政のリリーフエースとして最速154km/hをマーク。下級生時には四死球を連発するなどアバウトだった制球も、3年時以降には安定した向上が見られ、角度のある高さから投げ下ろす持ち前の速球と、ストレートの軌道のまま鋭く沈む縦スライダー、フォークボール、カーブで、現広島の小松剛、1学年下の加賀美希昇、同学年で阪神のドラフト1位指名された二神一人らと法政の投手王国のクローザーを担い、リーグでも屈指の奪三振率を誇った。また同年ハーレム国際大会、世界選手権などの日本代表としても選出。どちらも自責点0と国際試合で抑えという重責を果たした。 には、阪神を皮切りに、広島、オリックスなどが各球団のドラフト1位候補としてリストアップ。また日本球団だけではなく、レンジャーズ、ロイヤルズ、カブス、ジャイアンツなどメジャー数球団のスカウトも視察に訪れた。特にジャイアンツは環太平洋スカウトのジョン・コックス、レンジャースは環太平洋スカウトのジム・コルボーン、マリナーズは国際スカウトNo.2であり、国際管理部長を務める末吉英則が来日して直接視察に来るなど異例の関心の高さが伺えた〔法大・武内、二神にメジャーも熱視線(2009/2/22 日刊スポーツ) 〕 〔法大武内が第2の田沢!?レンジャーズ視察(2009/3/2 日刊スポーツ) 〕 〔法大・武内をロイヤルズなどが視察(2009/3/9 日刊スポーツ) 〕〔法大・武内が復活の秋へ、マ軍視察を歓迎(2009/9/12 日刊スポーツ) 〕。 しかし4年春のリーグ戦には肩の炎症で棒に振り未登板。各球団の評価を落とすも、4年秋には150km/h超えのボールが戻り、自責点0で復活〔法大・武内150キロ復活/東京6大学(2009/9/14 日刊スポーツ) 〕。 同年10月29日に行われたドラフト会議では、他の球団の視察コメントが減る中、最後まで上位候補として評価し続けていた広島東洋カープが3位指名し、交渉権を獲得。11月7日には、上京してきた両親が見守る中、川崎市内のホテルで広島と仮契約を結んだ。契約にあたったスカウト部長の苑田聡彦は「1年目から中継ぎ、抑えでいける」と高い評価をし、武内も「分かっていても打たれないストレートを投げたい。開幕一軍を目指す」と語った〔コイ、2選手と仮契約 堂林と武内(2009/11/8 中国新聞) 〕。 2009年11月10日、背番号が12番に決定した。これに伴い、小窪哲也が4番に変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武内久士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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