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武士団(ぶしだん)とは主に平安時代後半から、鎌倉時代、南北朝時代を中心に室町時代までの武士の集団を指す。1930年代から日本中世史での学術用語として使用され始めた〔関幸彦 『武士団研究の歩みⅠ』 p178〕。中世史研究史上においては「武士」と同義語として扱われることもあるが、「武士」は中世から近世(江戸時代)までを対象とし、また「武士」論は「武士団」を率いる「侍」のみを対象とすることもあるに対し、「武士団」ではその郎党も含めた社会的実態が問題とされる。 ==「武士」「武士団」という言葉 == 古代では戦闘目的の為に組織された集団を「軍(いくさ)」と呼ぶ〔竹内理三 『日本の歴史6 武士の登場』 p86〕。後には「いくさ」は「戦」であるが、当時は「軍」を「いくさ」と呼んだらしい。律令制下の軍団も当然ながら「軍(いくさ)」である。 しかし、律令体制下の軍団と武士団は、ともに戦闘目的の為に組織された集団であっても、それぞれ異なった実態である。律令体制下の軍団での組織形態は、国家の組織の中での公な上官と部下であるに対し、「武士団」は平安時代に「兵(つわもの)」と呼ばれるた者達が私的に従える集団、またはその集団の結合体である。そこで、戦後の歴史学者は後者を「武士団」と呼び区別した。武士団という言葉が平安時代後期にあった訳ではない。 そもそも、「武士」という言葉自体が平安時代から常用されていたのかというとそうでもない。「武者」という言葉なら平安時代中期の『高山寺本古往来』の、有名な「松影是雖武者子孫(松影はまことに武者の子孫なりと雖も)」という下りにも出てくる。『今昔物語集』は12世紀初頭の成立といわれるが、呼ばれ方は「兵(つわもの)」「豪の者」である。源平の争乱の時代、つまり12世紀末でも「武者」「弓箭の輩」が多く、「武士」と出てくるのは希であった。鎌倉時代でも「公家」に対して「武家」である。 戦後初期の第一線の中世史の研究者が「武士」を問題とするとき、その対象は鎌倉幕府成立の基盤としてとらえられた「武士団」であり、それが中世的な在地支配の形態とセットで、「中世の成立」と不可分なものとして研究されてきた経緯がある。その戦後初期の武士在地領主論では、武士を武士団と同義ととらえている。 いずれにしても、「武士団」の時代は平安時代後期から室町時代までであり、その境はあいまいながらも、少なくとも近世、江戸時代については「武士」ではあっても「武士団」として語られることはない。日本の「中世」における武士の存在形態が「武士団」である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武士団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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