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武振熊(たけふるくま)または和珥 武振熊(わに の たけふるくま)は、記紀に伝わる古代日本の人物。 『日本書紀』では「難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)」や「武振熊」、『古事記』では「難波根子建振熊命」や「建振熊命」と表記される。 和珥臣(和珥氏)の遠祖。神功皇后摂政時における忍熊皇子の反乱の際、討伐に遣わされた人物である。 == 記録 == 『日本書紀』『古事記』とも、武振熊について和珥臣(丸邇臣)祖とのみ記しており、系譜の記載はない。 『日本書紀』神功皇后元年3月5日条によると、皇后と皇子(のちの応神天皇)に対して反乱を起こした忍熊王を討つため、武内宿禰とともに遣わされたとする。 また同書仁徳天皇65年条によると、飛騨に「宿儺(すくな)」という体は1つで顔は2つある怪物があり、皇命に従わず人民を苦しめたために武振熊が討伐に遣わされたという。 『古事記』でも、仲哀天皇段において忍熊王討伐に派遣された旨が記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武振熊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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