翻訳と辞書
Words near each other
・ 武昌市
・ 武昌県
・ 武昌県 (吉林省)
・ 武昌蜂起
・ 武昌起義
・ 武昌駅
・ 武明皇后
・ 武昭王
・ 武智三繁
・ 武智丸
武智修
・ 武智健二
・ 武智大輔
・ 武智幸徳
・ 武智志穂
・ 武智敏
・ 武智文雄
・ 武智正剛
・ 武智秀夫
・ 武智豊子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

武智修 : ウィキペディア日本語版
武智修[たけち おさむ]

武智 修(たけち おさむ、1925年8月29日 - 1985年11月20日)は愛媛県出身のプロ野球選手
== 来歴・人物 ==
松山商業学校(現:松山商業高校)からに阪神軍に入団。高校時代は投手であったが、プロ入り後は内野手となる。しかし、戦時中の人材不足から入団翌年のは投手を兼任することになる。同年4月22日の対産業軍戦(後楽園)で初登板・初先発し、初勝利を挙げる。同年には東西対抗に出場した。翌年以降、投手としての登板は無かったが、に再び投手を兼務し、6勝を挙げた。同年オフに金星スターズに移籍。1年で阪急ブレーブスに移籍。金星では野手のみの出場であったが、阪急では投手を兼任することになり7勝を挙げる。更に1年で広島カープに移籍。移籍1年目のは、前年に引き続き投手を兼任し3勝を挙げた。この年を最後に野手に専念している。には一塁手のレギュラーとして打率.314を記録。からは近鉄パールスに移籍。移籍後のにも打率3割を記録した。の56打点は、シーズン0本塁打での打点のNPB記録である。オフに退団。酒豪としても知られ、監督の目を盗んで酒を飲み続けた。しかし、よく見つかってはボコボコにされ怪我をおう羽目となった。
後に、監督として母校松山商業高校を率いて甲子園に出場した。
1985年11月20日死去、。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武智修」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.