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武林唯七 : ミニ英和和英辞書
武林唯七[しち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [ただ, ゆい]
  1. (adj-pn,adv,conj) free of charge 2. mere 3. sole 4. only 5. usual 6. common 
: [しち]
  1. (num) seven 

武林唯七 ( リダイレクト:武林隆重 ) : ウィキペディア日本語版
武林隆重[たけばやし たかしげ]

武林 隆重(たけばやし たかしげ、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。通称は唯七(ただしち)。
== 隆重の出自 ==
隆重の祖父は、文禄・慶長の役で日本軍の捕虜になった明軍所属の孟二寛である。孟二寛は、古代中国の思想家孟子の後裔(六二世)として浙江省杭州武林に生まれ、医学を学んで育ったという。日本へ連行されたあとは長州毛利家に身柄を押さえられた(一説に戦争捕虜ではなく、長州へ漂流してきたところを毛利家に捕まったのだともいう)。毛利家、さらにその後には浅野家に医学を持って仕えるようになり、日本の士分に取り立てられて、故郷の「武林」を氏として「武林治庵士式」と改名した。さらに日本人の渡辺氏から室を迎えると、このときに妻の姓をとって「渡辺治庵」と改名する。
その間に生まれた子が隆重の父の渡辺式重である。式重には男子が二人あり、兄の渡辺尹隆が渡辺家を継ぎ、次男の隆重は分家することになったが、この際に祖父がかつて使った「武林」を家名として使うこととし武林家を再興した。
なお、『忠臣蔵』を紹介するメディアにて「赤穂浪士の中に外国人がいた」として紹介されることがあるが、上記のように帰化して三世にあたるため外国人とは呼べず、こういった表現は誇張である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武林隆重」の詳細全文を読む




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