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武田 信宗(たけだ のぶむね、文永6年8月1日(1269年8月29日) - 元徳2年11月9日(1330年12月19日)〔「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』所収)武田信宗項の傍注による。〕〔『系図纂要』武田信宗項の傍注による。〕)は、鎌倉時代の武将。甲斐源氏武田氏の第9代当主。第8代当主・武田時綱の子。母は名越朝時の娘と伝わる〔〔。第10代当主・武田信武の父。伊豆守〔〔、甲斐守〔〔、駿河守〔〔、安芸守〔〔、兵庫頭〔〔、大膳大夫〔〔。従四位〔「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』所収)では従四位上、『系図纂要』では従四位下とする。〕。通称は孫六(郎)〔〔または彦六郎〔。 == 略歴 == 文永6年(1269年)8月1日、甲府の館にて生まれる〔。幼名は徳光丸〔〔。建治3年(1277年)11月11日、鎌倉において当時の執権・北条時宗を烏帽子親として元服、「宗」の偏諱を与えられて信宗と名乗った〔「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』所収)の信宗項に「後宇多朝廷建治三年十一月十一元服於鎌倉(年九)、加冠相模守時宗、因例請名、故號名信宗」とあり、『系図纂要』にも「建治三年十一ノ_元服北條時宗加冠號信宗」と同様の記述がある。〕。鎌倉幕府の御家人として活躍し、北条氏から信任を受け重用された。 安芸の守護職を得て、安芸銀山城を築城したという。しかし、彼自身が安芸に直接赴いたかどうかは不明である。 元応2年12月11日に出家、光阿または向阿(いずれも読みは「こうあ」か)と号した〔「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』所収)武田信宗項の傍注より。但し、『系図纂要』では「出家法名光阿」とし、信宗の弟として向阿(傍注:浄華院五世 貞和元年六ノ二寂八十三)を載せる。〕。元徳2年(1330年)11月9日に死去〔〔。 「甲斐信濃源氏綱要」には「勅集作者」とあり、歌人でもあったようである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武田信宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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