|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 春 : [はる] 1. (n-adv,n-t) spring
武田 信春(たけだ のぶはる、? - 1413年11月16日(応永20年10月23日))は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。甲斐武田氏第12代当主。信時流武田氏の子孫で武田信成の子。官位は陸奥守及び伊豆守。 兄弟に基信、武春、布施満春、栗原武続がいる。子は信満、穴山満春(武田信元)、下条信継、市部信久、吉田成春、観音寺遠大西堂、法弥陀仏(一蓮寺住持)、上杉禅秀正室、小笠原長基正室、武田信繁室など(信春の系譜・子女については「円光院武田家系図」をはじめとする武田家系図類に拠る)。 == 略歴 == 『太平記』に拠れば、信春は父の信成や祖父の信武とともに北朝(幕府)側に属して戦ったという。文和4年(1355年)4月、柏尾山に陣を構えて甲斐国内の南朝勢力を駆逐した。 応永元年(1394年)には父の信成が死去し、甲斐守護職業を継承する〔『山梨県の地名』、p.237〕。南北朝時代以後、甲斐守護となった武田氏は守護所を甲府盆地東部の東郡に設置し、信春も青梅往還沿いの山梨郡千野郷(現在の山梨県甲州市塩山千野)に館を構えている〔『山梨県の地名』、p.228〕〔『山梨県の地名』、p.237〕。貞治4年(1365年)には、菱山の地を大善寺(甲州市勝沼町勝沼)に寄進しているのをはじめ、多くの寺領寄進を行っている。 『甲斐国志』や『塩山向獄禅菴小年代記』に拠れば、応永20年(1413年)には乱により館が陥落すると萩原山へ逃れ、柳沢に砦を築く〔『山梨県の地名』、p.237〕。同年10月23日に同所で死去する〔『山梨県の地名』、p.237〕。後を子の信満が継いだ。『甲斐国志』によれば、甲州市塩山茅野の慈徳院は信春の菩提寺であり、境内には武田信春館跡がある〔『山梨県の地名』、p.237〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武田信春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|