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武田繁清 : ミニ英和和英辞書
武田繁清[しん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

武田繁清 ( リダイレクト:伴繁清 ) : ウィキペディア日本語版
伴繁清[とも しげきよ]

伴 繁清武田 繁清(とも しげきよ/たけだ しげきよ)は、戦国時代武将安芸武田氏の一族で、武田元繁の子とも弟とも、娘婿とも言われている。
== 生涯 ==
永正14年(1517年)の有田中井手の戦いでは、武田元繁配下として出陣し、品川信定らと有田城包囲軍に加わる。しかし、突出した熊谷元直に引き続き、毛利元就によって総大将の武田元繁が又打川で討死するに及び、撤退した。その後は元繁遺児の武田光和を支えて大内氏やその傘下の毛利氏と対抗する。天文2年(1533年)に安芸武田氏と家臣であった熊谷氏が対立。光和は熊谷信直討伐を企てて、繁清は総大将として香川光景己斐直之山田重任温科家行らを従え、三入高松城下へ出陣、横川表の戦いとなる。この戦いでは少数の熊谷勢が武田勢を圧倒。繁清も負傷して退却した。
天文10年(1541年)に吉田郡山城の戦いで尼子詮久(後の尼子晴久)率いる尼子軍が敗れて撤退すると、安芸武田氏居城の佐東銀山城から武田信実らが逃亡、実質安芸武田氏は滅亡してしまった。繁清は居城の伴城に籠るも、同年(翌年説もある)毛利氏らの攻撃を受けて城は落城、討死した。
滅亡時に繁清の孫が伴城から脱出するが、この遺児が成長して安国寺恵瓊と名乗ることとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伴繁清」の詳細全文を読む




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