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武田 金次郎(たけだ きんじろう、嘉永元年8月10日(1848年9月7日) - 明治28年(1895年)3月28日)は、幕末期の志士。水戸藩藩士・武田耕雲斎の孫。母は藤田東湖の妹。 == 来歴 == 1848年、水戸藩士・武田彦衛門の子息として生まれる。 1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。 帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。 版籍奉還後は藩の権大参事を務めたものの、廃藩置県後は経済的に窮迫し、やがて病に倒れる。1895年、病死。享年48。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武田金次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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