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武知杜代子 : ミニ英和和英辞書
武知杜代子[こ, ね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

武知杜代子 ( リダイレクト:武智豊子 ) : ウィキペディア日本語版
武智豊子[たけち とよこ]

武智 豊子たけち とよこ1908年8月25日 - 1985年7月18日)は、日本の喜劇人映画女優である。晩年は「武知 杜代子」と改名している。本名は細江 ふじ、旧姓阿久津
一座を構えた浅草では小柄さとしゃがれ声から「女エノケン」と呼ばれ、映画では戦前の30代からのばあさん役で知られる。
== 来歴・人物 ==

=== 戦前・浅草の女エノケン ===
1908年(明治41年)8月25日東京市下谷区(現在の東京都台東区)に生まれる。
1923年(大正12年)9月1日関東大震災後、通っていた下谷の高等女学校〔当時の東京府立あるいは東京市立の女学校はいわゆるナンバースクールで、「下谷高等女学校」あるいは「下谷女学校」という旧制女学校が存在した形跡はない。〕を15歳で中退し、「曾我廼家五九郎一座」に参加、1925年(大正14年)に17歳で初舞台を踏む。その後、1929年に旗揚げした榎本健一(エノケン)の「カジノ・フォーリー」(浅草水族館2階)に参加、1931年旗揚げのエノケン・二村定一二人座長の「ピエル・ブリアント」に参加、角筈ムーランルージュ新宿座を経て、ふたたび「エノケン一座」に合流した。身長145センチの小柄さとしゃがれ声から「女エノケン」と呼ばれ、その当時はすさまじい人気で、東京六大学に「武智豊子親衛隊」ができたほどであった。
1931年(昭和6年)にレコードディレクター細江徳二と結婚し、二女をもうける。1934年(昭和9年)、榎本健一主演の『エノケンの青春酔虎伝』で映画デビューする。また、1938年(昭和13年)6月、29歳のとき、前年オープンしたばかりの本所区錦糸町江東劇場江東楽天地、現在は墨田区江東橋4-27-14のリヴィン)で「武智豊子一座」を旗揚げした。翌1939年1月、エノケンとのデュエット盤『流行歌数へ唄』を発表。同年3月一座を解散。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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