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武蔵海豊 : ミニ英和和英辞書
武蔵海豊[むさしうみ ゆたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

武蔵海豊 : ウィキペディア日本語版
武蔵海豊[むさしうみ ゆたか]

武蔵海 豊(むさしうみ ゆたか、1981年4月26日 - )は、愛媛県松山市出身で、藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属の現役大相撲力士。本名は山崎 豊(やまさき ゆたか)。身長182cm、体重139kg、血液型はB型。自己最高位は西幕下5枚目(2014年7月場所)。
== 来歴 ==
小学校4年生から地域のスポーツクラブ春日館が新設した松山道場の創設メンバーとして相撲の稽古を始め、同じ松山市出身で1学後輩の吐合とはしばしば稽古相手を務め合っていた。松山道場からの初めての卒業生〔がんばれ!武蔵海 春日館のブログ 2014/3/20〕ということもあって地元で話題となり、同じ愛媛県出身で既に三役を間近にしていた玉春日に憧れて野村高校へ進学することも検討していたが、部屋への勧誘にやってきた先代武蔵川からは「憧れているなら早く大相撲に進んだ方がいい」と口説かれ入門を決意。中学校を卒業した1997年3月場所、武蔵川部屋から初土俵を踏む。四股名は本名の「山崎」。同期入門には同部屋で幕下付出入門の武雄山(現・山分)、同じく幕下付出の玉力道(現・二所ノ関)、出羽平北勝岩のほか、琴禮らがいる。この場所は新序1番出世とし、翌5月場所、初めて番付に名前が載る。7戦全敗も経験するなど序二段でやや苦労したが、1999年11月場所で三段目に昇格。しばらく三段目と序二段を往復することが続いたが、2001年5月場所以降は三段目に定着、2003年11月場所では幕下へ昇進する。しかし怪我のため2005年9月場所から3場所全休をし、復帰場所の2006年3月場所では序二段まで落ちていた。復帰2場所目の同年5月場所は7戦全勝で同じく全勝の大翔勇との優勝決定戦に勝ち序二段優勝。同年11月場所で幕下に復帰した。
2008年3月場所で、十両昇進の可能性がある幕下15枚目以内に昇格。同年9月場所では東幕下6枚目とするも、2勝5敗となった。余談だが、この場所の対戦相手は、既に関取を経験している者(鳥羽の山大勇武北勝国)か、後に関取へ昇進する者(琴国德瀬川星風)のみであった。結局、翌11月場所を最後に15枚目以内から遠ざかる。
2010年3月場所、それまで本名のままとなっていた四股名を「武蔵海」に改める。改名場所は3連勝としていたが、4番相撲で柳川に敗れた。同年9月場所後に、師匠が武蔵川親方(第57代横綱三重ノ海)から藤島親方(元大関武双山)へ代わったが、年寄名跡を交換しなかったため、部屋の名前が藤島部屋に変更、武蔵海も藤島部屋の所属となった。
東幕下17枚目の地位を与えられた2013年5月場所を6勝1敗の好成績で終え、翌7月場所を東幕下8枚目の地位で迎えるとこの場所の5番相撲を終えた時点で3勝2敗と好調を見せる7番相撲まで2連敗して3勝4敗の負け越しとしてしまい最高位更新はお預けとなった。2014年3月場所は西幕下24枚目で6勝1敗、翌5月場所は東幕下12枚目で5勝2敗とし、続く7月場所は最高位を西幕下5枚目まで更新した。この場所は2番相撲で不戦勝を得る幸運もあって7番相撲に勝ち越しを懸けるところまで奮戦したが惜しくも敗れて3勝4敗の負け越しに甘んじ、関取昇進とはならなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武蔵海豊」の詳細全文を読む




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