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武蔵野鉄道クハ5855形電車 : ミニ英和和英辞書
武蔵野鉄道クハ5855形電車[むさしのてつどうくは5855がたでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

武蔵野鉄道クハ5855形電車 : ウィキペディア日本語版
武蔵野鉄道クハ5855形電車[むさしのてつどうくは5855がたでんしゃ]

武蔵野鉄道クハ5855形電車(むさしのてつどうクハ5855がたでんしゃ)は、西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道が、1940年昭和15年)4月〔「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.153〕に新製した通勤形電車である。
本項では、同年11月〔にクハ5855形電車とほぼ同一の仕様で新製され、事実上同形式の増備車と位置付けられるクハ5860形電車〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.73〕についても併せて記述する。
== 概要 ==
昭和初期における武蔵野鉄道は、大恐慌に端を発する沿線人口の伸び悩みに加え〔「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) p.109〕、新規路線開業や車両増備など需要に対して過大な設備投資を行ってきたことに起因する深刻な経営不振に陥っていた〔。1929年(昭和4年)以降〔毎年赤字を計上し続けた武蔵野鉄道は、1934年(昭和9年)8月〔「西武鉄道の系譜」 (1969) p.22〕には債権者からの申立により鉄道抵当法に基く管財人による経理管理および運賃収入の差し押さえなど強制執行が実施されて事実上破産し〔〔「西武鉄道のあゆみ - 路線の役割と経営の歴史過程」 (2002) pp.102 - 103〕、翌1935年(昭和10年)1月には電力を供給する東京電燈より電力料金滞納を理由に送電制限を受け〔、列車の運行に支障をきたすなど〔、創業以来最も苦しい状況が続いた。その間、武蔵野鉄道は1932年(昭和7年)に経営の主導権が従来の浅野セメント(現・太平洋セメント)系から、債権者の一企業であった箱根土地(後のコクド)系に移譲され〔〔、同社の社長職にあった堤康次郎の主導によって経営再建を図った〔〔〔。しかし債権者との折衝は難航し、債権者が和議に応じ管財人による経理管理が解除されたのは1938年(昭和13年)9月〔のことであった。このような状況下、武蔵野鉄道に車両の増備を実施する余裕はなく、最後に新車が導入された1928年(昭和3年)から約12年間、在籍する車両数に変化はなかった〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.72〕。
経営再建後の武蔵野鉄道は、折からの景気回復に加え、東京市電(後の東京都電)の池袋延伸に伴う利便性向上、および武甲山から産出される石灰石の増産などの要因が重なった結果〔、経営状態・輸送人員とも急速に改善した〔。年々増加する利用客に対応するため、1940年(昭和15年)には7両の制御車の新製を決定〔、同年4月にクハ5855形5855 - 5857の3両が〔、同年10月にはクハ5860形5861 - 5864の4両が〔、約12年ぶりの新車として導入された〔。両形式とも間接非自動制御(HL制御)仕様で設計・製造され、そのため形式称号ならびに車両番号(以下「車番」)は武蔵野鉄道においてHL制御の車両を表す5000番台に区分された〔〔本形式が落成した当時の武蔵野鉄道に在籍する車両は、電化開業当初から採用されたゼネラル・エレクトリック (GE) 社製Mコントロールの系譜に属する電空カム軸式の自動進段式制御装置RPC-101を搭載する車両群と、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社開発の間接非自動制御(HL制御)装置を搭載するデハ5550形電車デハ5560形電車に区分され、両者の混用(併結運転)は不可能であったことから、前者を100 - 3000番台に、後者を5000番台にそれぞれ区分して混用防止策とした。〕。製造はクハ5855形5855は梅鉢車輌(後の帝國車輛工業)が〔、クハ5855形5856・5857は日本鉄道自動車工業(通称「日鉄自工」、現・東洋工機)が〔、クハ5860形5861 - 5864は木南車輌製造がそれぞれ担当した〔。
太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)9月22日付〔「総説 西武鉄道」 (1992) p.10〕で、武蔵野鉄道は(旧)西武鉄道を吸収合併して(現)西武鉄道が成立したが〔〔合併当初の社名は「西武農業鉄道」であり、現社名への改称は翌1946年(昭和21年)11月15日付で実施された。〕、1948年(昭和23年)6月〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77〕の西武鉄道に在籍する全車両を対象に実施された一斉改番に際しては、クハ5855形・クハ5860形の両形式ともクハ1231形1231 - 1237(いずれも初代)に改番・統合され〔、さらに1954年(昭和29年)7月〔にクハ1231形1232 - 1238(いずれも2代)と再び改番された〔。クハ1231形は同系列に属する電動車が存在しなかったことから他の電動車各形式と併結して運用され、1959年(昭和34年)まで在籍した〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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