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武藤 景頼(むとう かげより、建仁4年/元久元年(1204年) - 文永4年(1267年))は、鎌倉時代の武将。父は武藤頼茂。始め左衛門尉を称し、建長8年/康元元年(1256年)太宰権少弐に任ぜられる。同じ武藤一族の少弐資能の家系が九州大宰府を拠点に活動したのに対し、景頼の家系は幕臣として栄えた。 宝治3年/建長元年(1249年)に引付衆、正嘉2年(1258年)に評定衆に任命され、幕政の中枢で活躍。鎌倉将軍九条頼経が宮騒動のために更迭された際、その供奉人を務め、京から宗尊親王を招請する際も二階堂行方と共に、様々な取次ぎを行って周旋に尽力、宝治合戦にも参戦し、北条時宗の元服にも北条一門や安達泰盛らと共に参列するなど、幕府内における地位は高かったようだ。 弘長3年(1263年)、北条時頼の死去に伴い出家して心蓮と号した。 == 参考文献 == * 飯沼賢司「武藤景頼」(鎌倉・室町人名事典(新人物往来社 ISBN 978-4-404-01757-4)607ページ) * 吾妻鏡事典(東京堂出版) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武藤景頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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