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武藤 絲治(むとう いとじ、1903年5月1日 - 1970年12月23日)は、日本の実業家。 == 来歴・人物 == 鐘淵紡績社長だった武藤山治の次男として兵庫県に生まれた。慶應義塾普通部を中退後イギリスに渡り、ロンドンの私塾で学んだ。帰国後は鐘紡の子会社のひとつだった昭和産業に入社した。1933年、同社が鐘紡に吸収された後は神戸営業所で勤務した後、下京工場および大阪工場で工場長を歴任した。 1947年、公職追放により旧経営陣が追放されたことを受けて社長に就任。当時の鐘紡は第二次世界大戦の敗戦や空襲で海外資産や国内外の工場などを失い、多数の引き上げ社員を抱えていたところに、さらに過度経済力集中排除法の適用を受けて非繊維事業を鐘淵化学工業として分離独立させるなど、苦しい状態が続いた。武藤は父・山治から引き継いだ「運命共同体主義」で再建に努め、銀行からの借入金を返済して経営多角化を進め、1961年には化粧品事業が鐘紡に復帰した。 その後、「グレーター・カネボウ計画」の一環として1964年にはハリスを合併して食品事業に進出し、1966年には山城製薬の経営権を譲り受けて薬品事業へ進出し、また繊維事業でもナイロン・ポリエステルの生産を始めるなど、多角経営を図った。 一方でワンマン経営者でもあったため一部の役員の反発を買い、1960年に会長に棚上げされたが、翌年には社長に復帰。1968年、社長を伊藤淳二に譲って退任し、再び会長になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武藤絲治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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