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武藤重勝 : ミニ英和和英辞書
武藤重勝[むとう しげかつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

武藤重勝 : ウィキペディア日本語版
武藤重勝[むとう しげかつ]

武藤 重勝(むとう しげかつ、1904年 - 1990年6月19日)は、日本詩人図書館情報学者
== 生涯 ==
1904年(明治37年)、日本統治下台湾に生まれる。幼少期を父の郷里である宮崎県児湯郡高鍋町で過ごし、東京府の旧制第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を経て旧制宮崎中学校(現在の宮崎県立宮崎大宮高等学校)へ移る。旧制宮崎中5年生の時には武者小路実篤が児湯郡木城町に開いていた「新しき村」を友人らと訪問し、実篤の薫陶を受けている〔寺崎(2004), p180〕。
旧制宮崎中を卒業後、立教大学文学部哲学科に進学。1930年昭和5年)に卒業した後、そのまま大学図書館の職員となる。1938年(昭和13年)、神戸市が募集していた『神戸市歌』(初代、1951年廃止)の歌詞募集において応募作が一等入選で採用された。1945年(昭和20年)3月、立教大学図書館を退職(疎開のためとみられる)〔寺崎(2004), p179〕。京都市立第三商業学校教諭を経て1948年(昭和23年)まで旧制高鍋中学校(現在の宮崎県立高鍋高等学校)教諭を務め、文芸誌『なみき』を発刊する〔高鍋町史, p1044〕。
1949年(昭和24年)4月、立教大学に復帰し図書館司書に着任、副館長に至る。この間に私立大学図書館協会研究部理事、日本図書館協会評議員を歴任。定年退職後も1970年(昭和45年)まで司書課程の非常勤講師を務めた〔。一方で日本詩人クラブ会員として『現代詩選』を中心にを発表し、編集委員を務めていた学校法人立教学院の機関誌『立教』にも詩やエッセイを多く残している。立教大学の非常勤講師を退いた後は高鍋へ帰郷し、詩や俳句の創作を中心に活動した〔。
1990年(平成2年)6月19日、脳梗塞のため死去。満86歳没。日本聖公会の信徒であったため、遺言により聖公会教区葬の格式に則って葬儀が執り行われた〔寺崎(2004), p181〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武藤重勝」の詳細全文を読む




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