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武見太郎 : ウィキペディア日本語版
武見太郎[たけみ たろう]

武見 太郎(たけみ たろう、1904年8月7日 - 1983年12月20日)は、日本医師である。日本医師会会長、世界医師会会長を歴任した。
== 人物 ==

1957年昭和32年)から25年間に渡って日本医師会会長を務め、「自由主義経済化における開業医の独立を守る」と、医師のなかでも主に開業医の利益を代弁した。戦後の厚生行政に於いては各種審議会の委員を委嘱され、時には保険診療の拒否を強行するなど厚生省官僚との徹底的な対決をも辞さない姿勢はケンカ太郎と言われた。医師会内部でも自分の意に沿わない医師を冷遇するなど独裁的な権力を揮い、医師会のみならず薬剤師会歯科医師会を含めたいわゆる「三師会」に影響を及ぼし武見天皇とまで呼ばれた。医師会サイドからだけでなく、吉田茂閨閥(吉田茂の妻雪子は牧野伸顕の長女)に連なり、その私的なブレーンとしても政治に関わっていた。
医師の代表を自認していた武見であるが、「(医師の集団は)3分の1は学問的にも倫理的にも極めて高い集団、3分の1はまったくのノンポリ、そして残りの3分の1は、欲張り村の村長さんだ」と嘆いたとも言われる。銀座にあったクリニックでの治療費は患者が自ら診療代を自由に決めて支払いする方式は伝説になっている。人柄は、権力をかざす政治家や官僚に対しては異常なくらい厳しい対応をするが、弱者にはいつでも優しく接した。「喧嘩太郎」の異名の一方「情けと涙の太郎」を知る者も多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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