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武谷三男 : ミニ英和和英辞書
武谷三男[たけたにみつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
三男 : [さんなん]
 【名詞】 1. three men 2. third son 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

武谷三男 : ウィキペディア日本語版
武谷三男[たけたにみつお]

武谷 三男(たけたにみつお、1911年10月2日 - 2000年4月22日)は日本理論物理学者。理学博士。三段階論、技術論で知られる。
== 経歴 ==
福岡県生まれ。京都帝国大学理学部を卒業後、湯川秀樹坂田昌一の共同研究者として、原子核素粒子論の研究を進めた。その一方、中井正一久野収らと共に、反ファシズムを標榜する雑誌『世界文化』『土曜日』に参加するなどしたため、2度にわたって検挙された。戦時下には理化学研究所を中心とする原子爆弾の開発(ニ号研究)にも関わっていた。1943年にロシア人医師ピニロピバルチック艦隊艦長の孫。後に武谷病院を開設)と結婚。
終戦後は、鶴見俊輔らと『思想の科学』を創刊。思想の科学研究会メンバーとして、科学史、技術論などの分野で論文を多く発表した。原子力問題でも積極的に発言し、アメリカ水爆実験を批判し、その一方で社会主義国による核保有を肯定した。広島や長崎への原爆投下については「反ファッショ」の「人道的行為」としてこれを礼賛した。安全性に関する理論は公害反対運動などにも大きな影響を与えた。1953年から1969年まで立教大学教授を務めた。
ピニロピとの間に生まれた息子の武谷光ジャズピアニストから作曲家を経て、現在は医事経済評論家。講談師の神田香織は義理の娘。
1972年原子力安全問題研究会を立ち上げた。
1976年原子力資料情報局が発足し代表になる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武谷三男」の詳細全文を読む




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